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78 わかば荘の薔薇色の日常
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────。
[言葉はなく、 真っ直ぐに見上げる眼差しが、南方の答えを待っている。]
(575) hana 2014/07/06(Sun) 22時頃
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[閉じかける扉を細い指で止め、 踵を返した南方を追って、当たり前のように、遊も中へ入る。]
(576) hana 2014/07/06(Sun) 22時頃
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[部屋と玄関とを区切るカーテンも、 今では境界線の役割を果たさない。
一切の抵抗を感じずあっさりとカーテンを潜り]
──南方?
[無言のままの南方の背に、大きくはない声を掛けた。]
(580) hana 2014/07/06(Sun) 22時半頃
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…──。
[目の前で、何かが組み上がってゆく。 組み上がる前の絵は練習用だったのか 何の感慨もなく木枠から剥がされ 床に貼られた板の上でくたんと折れ曲がった。
なぜ返事をしないのか、探る心は逸るが急かしはせず、 新しく描くためのキャンバスを作っているのだと判断して じっとカーテンの前に立って待った。]
(587) hana 2014/07/06(Sun) 22時半頃
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…──────。
[立ち止まり、南方の背を見詰め続ける遊の まだ微かに浮かんでいた笑みが消える。]
(589) hana 2014/07/06(Sun) 22時半頃
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[これは──いつもの南方とは違う。
面倒がりつつも律儀で 不機嫌でもなんだかんだ答えをくれていた 遊の知る、人の好い男ではない。]
……なかた
[圧迫された喉から、微かな呼気に押し出されるように 掠れた声が名前を呼ぶ。
キャンバスの落ちる床を踏み越え 画材の詰まった道具箱を取り出す南方を止め 話を聞かなければいけない──。
そう思っても、背中から感じる拒絶の気配は 今まで見たことのないほど強固で、見えない線の前に立ち竦む。]
(593) hana 2014/07/06(Sun) 22時半頃
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[いつものように簡単に側に寄れない。 数歩歩み出て、床に落ちた布地を拾うのが精一杯だった。
そうするうちにも 新たに組まれたキャンバスはイーゼルに乗り 椅子が、その側に据えられる。
やっと聞けた南方の声に、温度を感じることが出来なかった。]
……うん
[ただ頷いて、動かない足で冷たい床を踏んでいる。]
(599) hana 2014/07/06(Sun) 23時頃
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[振り返った南方の表情は いつも通りであるかにも見えた。
眉根の寄った、 不機嫌そうな────……?]
……
[瞬間だけを切り取れば、そうであったのかもしれない。 來夏のカメラが景色を写し取り 一瞬の時間を四角い枠に圧縮して閉じ込めるように 南方も、前後の繋がりを無視すれば、 “いつも通り”──と、思えたかもしれない。]
(605) hana 2014/07/06(Sun) 23時頃
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[けれど──。]
みなかた
[部屋の前で頭を撫でて、笑ってくれた南方を思えば。 目尻に寄った人の好さそうな皺を思い出せば。
今、そこにある“いつも通り”は、不自然でしかない。]
!
[寄って来た南方に手首を取られ、 その手が掴んでいた生地は不必要なもののように奪われた。
手を引かれるまま、裸足の足が部屋を横切り 陽光が斜めに差し込む場所で止まる。]
(607) hana 2014/07/06(Sun) 23時頃
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[値踏みするような視線を感じた。 モデルとして、価値があるかを確かめているような。
──ああ。 確かに、思ったのだった。 描きたいものは、自分ではないかもしれないと。
南方は今、それを確かめているのかもしれない──。]
(608) hana 2014/07/06(Sun) 23時頃
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[ぬくい──が、優しくはない手が離れて 隣に椅子が置かれた。
西洋美術史の本を渡されて、読めと言われた。]
……。
[遊は頷いて、椅子に腰をおろし、軽く足を開いて まだ開かない本を膝の上に乗せた。
遊の目は、まだ南方を見ている。]
(612) hana 2014/07/06(Sun) 23時半頃
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[待っても、南方は見ているばかりで描きはじめようとしない。 仕方なく、足を組んで、背を軽く丸め 既に一度、南方の部屋で読んだことのある西洋美術史の本を もう一度、端から、詳細に、舐めるように読み始めた。]
…────。
[いつの間にか、没頭していて──。
南方の声に気付くのが一瞬遅れた。]
(614) hana 2014/07/06(Sun) 23時半頃
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──…?
[何か言われた気がして顔を上げる。 下ばかり向いていた目に、窓からの光が少し眩しい。]
(616) hana 2014/07/06(Sun) 23時半頃
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──。
[痛い。
南方の声が。 呆然としたようなその声が。
やっぱり自分じゃ無理か──という 諦めにも似た気持ちが湧いて来て、 想いはすぐには言葉にならなかった。]
(617) hana 2014/07/06(Sun) 23時半頃
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[本を閉じて組んでいた足をおろし 椅子から立ち上がって、 イーゼルに立てかけられたキャンバスの前に立った。
──キャンバスは、真っ白なままだった。]
(618) hana 2014/07/06(Sun) 23時半頃
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[本を足元に置いて、キャンバスでなく、 呆然としている南方のこめかみから目尻の辺りに 笑っていない遊の視線が留まる。]
…──────。
[言葉の代わりに、遊は 空になった冷たい手で、南方の首筋に触れた。
触れて、少し体温が混ざった辺りで 南方の背を、髪を、ゆっくりと撫で下ろした。]
(619) hana 2014/07/06(Sun) 23時半頃
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いいよ
[ぽつ、と遊は言い]
…──いいよ。
[もう一度、同じ言葉を繰り返した。]
(623) hana 2014/07/07(Mon) 00時頃
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[南方の声から、なにがしかの感情は感じ取れた。
傷ついている。 驚いているのかもしれない。
南方は、描かない──ではなく 描けない──と言った。]
いいから────……。
[もう、描こうとしなくていい。
──無理をさせた自分を悔いた。]
(626) hana 2014/07/07(Mon) 00時頃
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[南方の手から鉛筆を、奪うではなくそっと取り上げ、 キャンバスを支えるイーゼルの端に置いた。
ゆっくりと息を吐き、 撫でていた手を離すと、南方の背後に回り込んだ。]
(631) hana 2014/07/07(Mon) 00時頃
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[冷たい、温度のない、 小枝のような遊の指が、南方の瞼を覆い 視界に映る、かつてモデルが立っていた空間も、 遊が座っていた椅子も、白いキャンバスも、イーゼルも。
全て──全てを、闇に覆い隠した。]
もう、描かなくていいから──
[抑揚のない遊の声が、暗示を掛けるように、 視界を塞いで、引き寄せた南方の後頭部に、ゆっくりと囁いた。]
(632) hana 2014/07/07(Mon) 00時頃
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