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―― イロハ、病院へ行く ――
[ささやかなあかりが、暗い夜道にスポットライトをともしている。
イロハは自転車をこいでいる。
病院は家からだとちょっと遠いし、
まあ、なんにせよ、早く到着できるに越したことはない。
そう、早く到着したいからこそ、
途中で赤信号に引っかかればもどかしい思いもした]
[……けして走ってはいないのに、
身体の真ん中がばくばくといやな音をたてている。
駐輪場に自転車を止めて一息ついてもおさまらない。
防寒対策としてコートしか着てこなかったから、
手袋をつけていない手はひたすらに冷たくなっている。
顔の前に持ってきて息を吹きかけながら正面の出入口を目指す。
気もそぞろで、それでも、
病院の前にたたずむ人影に気付くのはかんたんなことだった
宇井野くん。ええと、その、 えぇと、……帰ってたんだ。
[あたたまりきってない手を振ることはしない。
ただ、言葉だけを投げてよこして]
[言葉とともに吐き出される白いかたまりの端だけを捉えていた状態から、
顔を上げる。とはいえイロハにも言えることは少ない]
聞いた。
あたしにも何が何だかって感じで、…………でも、
あの世界をつくってあたし達を招いたのは養くん、
……ってことになるのかなぁ。なるよね。
[――そう、つまり世界の主は目の前の建物の中にいる。
今は言葉の届かぬところにいるその人に、
宇井野にだって言いたいことはあるだろう。イロハにもある。だが、]
……ここ、寒いし、とりあえず中入って話しよっか。
[出入り口の自動ドアの方を指差して。
返事をあんまり待たずにさっさと歩き始めた]
少なくとも今は、
「ありがとう」だけは言える気分じゃないかな。
ちょっとだけ、あたしはあたしのことを見つめなおすことはできたけど、ね。**
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[ 帰ってたんだ、と、言われて。
あの校舎が夢でも何でもなくって、
本当に自分が身を置いていた世界と知る。
あの世界じゃあ、
夢だということを否定していたのに、
目が覚めてしまえば曖昧で。
夢も現実も、そんなものだから。
あの世界を現実として認識するのに、
誰かの言葉を受けなければならなかった。 ]
[ だけども、事実とわかってしまえば早い。 ]
ああ。学校で目ェさめた。
養が、死にそうになって、
あの世界が出来たってとこか。
[ 文化祭に彩られた空間も、
腐った肉も、真っ赤な水も。
全部、養の心の中を形にしたものだろう。
上澄みの底を覗いたような気分だった。
誰しも持つであろう、奥の奥。 ]
[ 寒いし、と、言いかけて。
先に言われたものだから
宇井野は頷いて、後を追う。
病院の中。カウンターで事情を話せば、
待合に居座ることは出来るだろう。
扉一枚、二枚隔てた空間はあたたかい。 ]
どこから。
あの世界の中だったんだろう、な。
朝起きた瞬間からってのもおかしくない。
[ だとか。
そんな声は、病院の中だ。
他の誰かが聞いたらきっと、
よくわからない話でしか、ないのだろう。 ]
[ 言いたいことならあるけども
それはまだ はっきりと形を持たない。
だけども、今はとにもかくにも、
生きて欲しいと願うばかりなのだ。
顔だけは平気な形をさせたって、
あの校舎みたいに冷たい体は
……みたく、なかった。 *]
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自分以外の誰かの体温を感じて、
私はそっと、目を覚ます。
[ ソファの上で、眠ってしまっていたみたい。
瞼を開けて、瞬きをして。
しばらく天井を見詰めています。
起き上がると、タオルケットがずり落ちる。
誰かが掛けてくれたみたい。
母か、父か、弟か。心優しい、家族の誰かが。
タオルケットを丁寧にたたみながら、
テレビをつけて、ニュースを見たの。 ]
すごい。ニュースになってるよ、よう君。
[ 携帯を見れば、あいこちゃんからのメール。
そうね。病院、行こうかしら。
でも、その前に顔を洗わせてください。
面白い夢でした。
あれが、本当に現実とリンクしているのか、
あそこにいたのが本当に皆なのかは別として、
あの子の、腕の中で息絶えていく感覚が
今もすこしだけ、残っているのですから、ね。
死んだの。もう、居ないの。
顔を拭くタオルを持つ腕は重くって、
ああ、私、今ここに生きているのね。 ]*
あの子に執着する私は、死にました。*
―自宅にて―
[夢を見ていた。やけに鮮明な夢を。
やけに重たい瞼を開いて、最初に見えたのは
お世辞にも綺麗とはいえないアパートの天井だ。
雑音を聴いて、吐いて。
呆然とベッドに寝転んでいるうちに
どうやら眠ってしまったらしい。
やけに瞼が腫れている。
記憶にないけれど、泣いていたのかもしれない。
はるちゃんの事が、好きだった。
愛していた。多分、今も好きなんだと思う。]
[けれど、不思議だね。もう、涙は出ない。
何処かに恋心を置いてきたみたいに
紫苑の心は凪いでいた。]
[肝心のイヤホンは沈黙を保っている。
一ヶ月も動いていたからかな。
流石にバッテリーが切れたらしい。
もう、帰っているのだろうか。
或いは、まだ、誰かと一緒に居るんだろうか。
あぁ、でも、良いよね。
紫苑は空気が読めない。
なので、夜もふけたこの時間に
はるちゃんに電話をかけることを厭わない。]
[スピーカーの向こうから、はるちゃんの声がする。
どうしたの?と問う声は
やっぱり可愛らしい。そう思った。
少しの沈黙の後、紫苑は口を開いた。
泣いちゃうかな。
紫苑だって泣きたい。泣かないけど]
はるちゃん、あのね。
俺たち、――。
[酷い男だって思うかな。
それでいいよ、と紫苑は思うし、
むしろ優しいんじゃないかなとすら思う。
彼女は泣いている。被害者面をして。
悪い子だなぁ、って紫苑は笑って
躊躇い無く電話を切った。**]
[一時期は都合のいい夢であれと願った誰かの――もとい、養拓海の世界。
今はもう、確かにあって、イロハは確かにそこにいたのだと、認識している。
とはいえ、他のひとにとってもそうであると、
決めつけるにはまだ早かったかもしれない。
と、ちょっとだけ思ったイロハであったが]
そうだね。そうなる、よね。
他に誰かが死にかけてるなんて連絡もないし……。
[言ってる意味、通じるなら話は早い。
やっぱり君も確かにあそこにいたんだ、と思いつつ。
養の世界に思いを馳せる]
[文化祭を模した校舎はきれいだった。
本来は存在しない4階、そこは薄暗く物寂しかった。
どっちがほんとうか、じゃなくて、
どっちもほんとう、なのだろう。
綺麗じゃないものだって抱えてるのがひとであるからして]
[院内に向けて歩を進める足音は二人分。
ロビー状の待合室であっても暖房はきいていて、
もはや白い息を吐き出すこともない。
これこれこういう事情でして……と、
カウンターのお姉さんに話す役はとりあえずイロハがやることにした]
……おかしくない、かもね。
[一足先に待合室の長椅子に腰をおろすと宇井野の言葉に頷いた。
――雪、どれくらい残ってたっけ。
道中全然気を配ってなかったし、それに、
今朝見たニュースがどんなものだったかなんて、
養の世界での出来事よりも曖昧になっていた]
……それよかさぁ、宇井野くん。
あたし達がここにいるということは、
向こうには今頃、あたし達のマネキンが残ってたりして。
アイちゃん、みたいに?
[ちょっとは無残な姿になったかなあ、と、他人事じみて思う。
相原みたく、さながら殺人事件の現場を作り出してしまったこと、
きっと、誰かに言われたって、そんなには気にしないのだ*]
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[通話を終えた紫苑は、新着を告げていた
メッセージアプリを開く。
相原からのメッセージが一件。
夢は夢じゃなかったらしい。
あの空間のホストが誰かを理解して、
ふと思い出したのは、いつかの会話だった。]
[“いる”じゃなくて、“いた”らしい、
「生まれたら最初に出会う人。」
紫苑の耳ははっきりとそれを捉えていて、
けれど、聞き返すことはしなかった。
だって、俺たち、そんなに親しい訳じゃない。
けれど、もし踏み込んでいたら、
彼が思い切る事はなかったのだろうか?
問うても紫苑には分からない。]
[出来ることはせいぜい、
彼の選択の結果を見守ることくらいだろう。
相原のメッセージに、
養が搬送された病院が書いてあった。
家を出る前に、少しだけパソコンを触ってから、
簡単に荷物を纏めて、コートを羽織る。
イヤホンの代わりに、伊達眼鏡を着けた。
泣いて腫れた目を誤魔化すためだ。
一歩踏み出した外の景色は、
雪景色などではなく、夜の紺に染まっていた。**]
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或いは、精神的に不安定な人なら、
養以外にも当てはまるんだろうけど。
[ 其処は流石に、見えない処だ。
他に生死の狭間にいる者がいるって、
そんな連絡がない今は
あれは養の世界だって、
それを前提に話を進めるのがわかりやすい。 ]
[ 灰谷が、受付に話を通す間
宇井野は一方後ろに立っていた。
話し上手だ、って、いつも思う。
視線をちらと、外の方にやったら、
地面はうすぼんやりと明るくて。
積もったまんまの雪が、
朝の記憶と矛盾してくれないから、
どこから境界を越えたのかもわからない。 ]
[ マネキン
そうだ、マネキン。って。
あの校舎を思い浮かべて、ぞわりとした。
マフラー越しに、喉に触れる。
この首を、絞めて。
確かに死んでいく感覚。 ]
マネキンを運ばせてるんだろうな。
相原のは、えらい姿になってたが。
[ 声色は別段、変わりなく。
いつも通りなのだけども。 ]
[ あの、汚れた包帯を、
ちぎれそうなほどに引っ張って。
ほんとは、誰かを助けるための道具が、
喉に深く食い込んでいったんだ。
一瞬、呼吸を忘れてしまったように、
息が、止まった。
すぐに吸って、吐いて。異常なし。 ]
死んだん、だな。あっちの世界で。
……死んだら、戻ってくるんなら。
養も、そう、なのか。
[ 灰谷は存外、平気そうだ。
宇井野の顔も、いつもどおりの形で、
少し眉が下がっているだけなのだが。 *]
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[見えない可能性。
いちいち追っていてもキリがない。
誰かと誰かの世界がまじりあうこともあるんだろうか、って、
そこはちょっとだけ興味深かったけれど。
「クラスメイトが病院に運ばれたって聞いて」――とイロハは受付のお姉さんに話した。
緊急事態だったけれどしどろもどろにならないですんだ。
「たぶんあたし達を入れて全部で10人くらい来ると思います」とも言ったけれど、
いつになるかはイロハにもわからない。
――他のみんなにも、来たりしているのだろうか。
帰る順番が]
[いろいろ、気になることはあるけれど。
目下の話題はマネキンについて、だ。
運ぶのたいへんそうだよね、宇井野くんのマネキン。
[応じるイロハの声もいつも通り、だ。
いつも通りに見上げていても、しかし、
宇井野に一瞬生じた異常には気付けていなかった。
きっと、イロハもイロハで別のことを考えていたせい]
[思いを馳せる。
回る視界だとか、内側から変な音がして足がつかいものにならなくなったとわかってしまったこととか、
そもそもどうして階段のてっぺんから飛ぼうと思ったか、という、
幾度思い返しても変わらないだろうひとつのアンサー]
………、それは、そうなのかも、としか、言いようがない、けど。
[あちらで死んだら戻ってくるのか。
呟く宇井野の顔はおおむねいつも通りだけれど、
精神世界のこと、あんまりひとごとじみて話してなかったことを思うと、
どこかしら憂いているのかもしれない]
あのね。
あたしも死んだんだと思うよ。
……死んでもいいや、って気持ちで落ちたんだ。階段から。
それで帰ったんだから、養くんが、……ちゃんと、
帰るつもりであっちで死ぬことを選んだのなら、
それは……ちゃんと、喜んであげた方がいいと、思うよ。
[もちろん、穏便に帰る方法があればそれに越したことはないのだけれど]
………宇井野くんは死ぬの怖かった?
あたしは、……ちょっとね。
[どうなんだろう。
あちらで死ぬことに何の意味があったんだろう。
思いつつ問いかけるイロハの表情は、静かに落ち着きを保っていた*]
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[ あの教室にいた全員が、
この病院に揃う時は来るのだろうか。
失踪事件、大抵は皆戻ってくるらしいけども。
校舎のあった世界の生まれた意味、とか。
待合までのほんのわずかな時間の間に、
考えてしまったりもするのだ。
気になることが混ざり合う中で、
なんとなく、自分のマネキンをイメージする。 ]
……だろうなぁ。
わりとインドア揃いだったし。
[ 一人で運ぶのはまず無理だろうな、とか。
冗談めかそうとして、声が上手く弾んでくれない。 ]
[ 長椅子に腰は下ろさずに、
近くの壁に背を預ける。
エナメルは、どさりと床の上。
確定事項は限りなく0で、
あの場所についてわかることなんて
殆どないのが現実だ。
ああかもしれない、こうかもしれない。
そればかりが飛び交うことになるのだろう。
座る灰谷を見下ろした。
つけっぱなしのマフラーに顎が埋まる。 ]
気づいたら死んでた、みたいな。
なんか、そんな感覚だ。
だから、怖さもあんまり。
[ 嵌らない苦しさをだましたかった。
たったのそれだけの話だ。 ]
死んだら、どうなる、とか。
考えなかったか。
[ 宇井野は、考えなかった。
口許のマフラーに指をかけて、
ぐい、と。少しだけ、下ろして。
真っ白くて、どこか薄暗い天井を仰いだ。 ]
死ぬ、って。
本当は二度と、ないことだ。
死をどう解釈するかってのは人次第で、
そこをとやかく言うべくもないが。
そりゃあ、あっちで死んで、
こっちで元気に出来るなら良いんだが。
死ぬって感覚だけは、
なんとなく残っていくんだろうから。
[ マフラーから出した口許は、
曖昧な笑みの形を取る。
どんな顔をすれば良いかわからない。そんな形。 ]
素直に喜ぶことは、難しいな。俺は。
[ 喜んであげたら、って、言った。
そんな灰谷は? って
問うように、視線を流す。
感情の名前から目をそらし続けて来たから、
こういう時だって 自分の心すらわからない。 *]
[今までの交際経験の中で
彼女を寝盗られたことは無かった。
多分、幸せだったんだなと紫苑は思う。
はるちゃんに対して怒りは湧かなかった。
寂しいけど、仕方ない。
とはいえ、紫苑は聖人ではない。
全てを飲み込むなんて出来るはずもなかった。]
[病院に向かう前、
悪夢のような雑音に紫苑は手を加える。
女の音声は誰だか分からないように加工して、
男の声はそのままに、音声データを書き出した。
少し時間はかかりそうだけど、
きっと、帰った時には終わっているだろう。
捨て垢で掲示板にでも貼り付けてやろっかな。
紫苑はひとり、夜の道を歩きながら微笑む。
案外、自分は性格が良くないらしい。]
―病院―
[雪が残った道を歩いて、
紫苑は目的の場所に辿り着く。
見えた姿は、あの校舎でも見かけた面子
目が合った紫苑は、ひらと手を振った。]
……ただいま?
[って言うのも変かなと思いつつ、
それ以外の言葉が見当たらない。
伊達眼鏡の位置を直してから、
紫苑は思い出したように宇井野を見る。
あの校舎の中、
シーツに包まれた大柄なマネキンと
添えられていた猫のぬいぐるみを思い出した。]
宇井野くん、ネコちゃん好きなの?
[深い意味もなくそう尋ねてから、
紫苑は再び踵を返す。
飲み物でも買ってこよう、と思った。**]
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[ まずは、扉の開く音。
空調の効いた院内に、
冷たい空気が流れ込んでくる感覚。
顔を向ければ、手を振る姿。
つられるように、手を振ったが、
少しだけ、驚いていた。 ]
柊。……
おかえり、ってのも。変な感じだよな。
[ 帰ってたのか、とか。
そんなもの、なんとなく。 ]
[ 度の無い眼鏡をかけているのも、
イヤホンが見当たらないのも、
なんだか新鮮なことだけども。
柊、お前もか、と。
頭を抱えたくなるようなものが
世間話じみで飛んできたものだから。
…………………
好きに、見えるか。
[ 自分のマネキンのことなんて、
自分じゃあわかるはずもないから。
もしかしたら、何か見られたか、とか。
動揺を寸の所で、飲み込んだ。たぶんセーフ。 ]
[ 病院の中にも外にも、
自動販売機の灯りはいくつかある。
待合からまた、どこかに行くのに、
宇井野はなにも言わずに見送ったけども。
ネコって、あのネコだよな、とか。
あのときは誰もいなかったはずだろ、とか。
上っ面を整えることで、
諦めて生きる選択肢を見つけた傍から。
ぐるぐる混ざる思考を、押し込んだ。 *]
[そこは笑ってもいいところだよ宇井野くん……とは言わずじまいだった。
怖かった? って訊いたイロハは、
眉をフラットにした表情で宇井野を見る。
近くの壁に背を預けたその姿を見ると、
本当に学校帰りなんだ……と、今さらながら思いはする。
冷静になって考えてみると、そうだ、コートの下の部屋着は、
母と二人で家で過ごす時のために母が選んだ、だいぶ大人っぽいデザインのものだ。
深い意味もなく、コートの左右のポケットに両手とも突っ込んで。
宇井野の言葉
聞きながら、視線をうろうろとさまよわせる。天井を見たり足元を見たり]
そっか。
……そういう考え方もあるよね。
[イロハはため息を吐くみたいな小さな笑い声をあげた。
なんだろう、水面から顔をあげたみたいなふわふわした気分から、
一気に現実に引き戻された感じさえする。
向けられる視線に返してよこすのはちいさな声だ]
…………あたしは、あたしの嫌なところを捨てたいって思ってたから。
死んじゃえば命ごと捨てられるから、死んでもいい、って……。
[そうして、あの校舎で死んでみた結果、何がのこったか。
何か言いかけようと口を開き、また引き結ぶ。
分かっている。イロハの言葉はもう笑い話の範疇に入れることはできない。
沈黙することしばし、静けさの中に音が響いた。
[外から冷気を引き連れつつ入ってきたのはクラスメイトだった。
眼鏡をかけてたりイヤホンがなかったりと、
細かいところは違うが顔立ちばかりは見間違えようもない。
ひらりと手を振り返す]
柊くんだ。
あ……えっと、……おかえり?
[ただいまと言われたからにはそう返した方がいいんだろうけど。
確かに変な感じだ。
「おはよう」じゃなくて「ただいま」と「おかえり」を口にしあうことになるとは。
……そういえばあの校舎じゃおやすみを言いそびれていた]
ネ、コ……?
[突如持ち上がる宇井野は猫が好き疑惑。
そんな話はイロハにとっても寝耳に水だ。
けげんな表情をしつつ柊と宇井野
それから柊を見送って。
しばらくしてからこれ幸いとばかりに立ち上がる]
あ、あたしも飲み物買ってくる……。
[土壇場で財布は忘れずにポケットに入れていてよかったと思う。
言いつつ向かうのは、病院の外だった*]
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[ 視界の端に揺れる髪が
どこか落ち着かない風であったから。
嫌なことでも言ってしまったろうか、と。
大雑把になりきれない小さな不安。 ]
────……
[ 誰も、同じものを見て生きた人間はいない。
誰一人、全く同じ世界を見ていないくせに、
その事実はどこか遠い所にあるものだから。
小さな笑い声に
そうか、と、合点がいくのに。
ほんの少しの間を要した。 ]
[ 沈黙だ。
灰谷の沈黙につられるようにして、
宇井野も暫し、黙り込んでいた。
嫌なところを捨てたいから、
そのために命を放り投げるならば。
生を受けた意味はどこにあるのだろう。
なんて、考えてしまうのが、
宇井野 堅治というちっぽけな人間だった。
だけども、言われてみれば、
その気持ちもなんとなく、わかる気がして。 ]
[ 人の気配は、沈黙を塗り替えるのにちょうど良い。
猫が好き疑惑はひとまず置いておこう。
おいておこう。
柊と、此方と。
見比べる視線は見えないふりして。
それから、立ち上がった灰谷を見送る、ついで。 ]
……いってらっしゃい。
またあとでな。
[ 飲み物を買うだけだと言っているのに、
自然と口から零れ出ていた。 ]
[ なんでかは自分でも、わからなかった。
ただ、なんとなく。
こんな、ろくでもない世界の中で、
マネキンよりも冷たくなってしまうのは、
なんだか嫌だな、と、思ったんだろう。
灰谷を見送ったら、
ずるりと背が壁を擦る。
長椅子じゃなくて、床に座り込んだ。 ]
こんな ろくでもない世界の中で
器と中身を間違えられて
ただただあるべき姿を演じ続けて
なんで生き続けているかなんて
生まれて来たから
それ以外に 理由はないから
あの校舎の中で
首を絞めたのも 死ぬ気なんてなくって
生まれて来たから
生きているから
人は苦しいんだろうって
だったら
生きて欲しい を 願うことは
いっそ 残酷なことかもしれないな って
あの校舎にいたクラスメイトを
また ひとり ひとり 思い浮かべた **
メモを貼った。
[誰しも何かを抱えていたって、
それが同じとは限らないし。
母から買ってもらったものだけならいざ知らず、
生みの親に似てしまった顔、それを抱えた自分。
それらを捨てたい、だなんて、きっと、傍から見れば親不孝者にもほどがある。
だから、わかってもらおうだなんて思ってなかったはずなのに、
ちっぽけな己は口にしかけてしまった。
灰谷彩華はこういう風に――人間ができていないところがあると]
[だから、沈黙
ということを本人に伝えることはなく、
イロハはすぐには自販機を目指さず、
夜の病院敷地内をうろうろしていた。
見送ってくれた宇井野
その時ばかりはいつものイロハらしく笑えたと思う。
冷たく凍った場所で朽ちるつもりはない。
ただ、少しばかり、頭を冷やす時間なら欲しかった]
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