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[続く一言に、再び言葉を失う。
軌道修正のポイントをすべて通り過ぎ、終点に到着したことを告げるような音が卓の周りに響いた。
喧嘩か?と密かにざわめく喧騒も、どこか遠い。]
俺だけが、って、きみ……ちょ、……
[静かな啖呵に、碧眼の揺らめきに、ひとまず落ち着かせようと伸ばした腕は、呆気なく攫われる。
酒量といい、常にない態度といい、間違いなく酔ってはいるだろう。が、店員を呼ぶ声は明瞭だ。もしかしたら顔や声に出ないだけで、既に酩酊しきっている可能性もあるが。]
……でも。
いま、おれ。
すごく、嬉しい、です。
ずっと、サガラさんのこと、思ってたから。
だから星にも、こっそり、願おうかって思ってて……。
[ようやく上げた顔には、たぶん、涙の跡まであって、お世辞にもいい顔とは言えないもの。
口元は弛んでるし前髪ぐしゃぐしゃだしで、たぶん相当だらしない。
けれど……]
おれ、サガラさんのこと……すき、です。
[とても、幸せな笑みだってことは、伝わるといいな**]
[シチューを食べ終えた後の片づけを。
その後でゆっくりシャーベットを食べるのもいい。洗い物をしている間に彼が古時計の点検をしてくれるというのなら其れを任せ。
自分は背を向け、洗い場に向かった。
途中、何度か振り返り。
その姿を盗み見て
いや、自分は諦めてしまったものか]
[だからこそ、憧れるのだろう。
カランと音がなり、洗っていたお玉が落ちる。彼を盗み見るどころか、じーっと見ていたと慌てて、その後は泡を立て食器を洗うことに集中しよう。規則正しく動く時計の音だけがいやに響く。
――右手で時計を撫でた彼の顔を思い出して。
気が逸れ、もこもことした泡が少々大きくなりすぎたが]
[何とか無事に洗い物を済ませ。
この後はゆっくりシャーベットを食べながら話でも。そう思いながら時計の点検を終えた様子の彼に近づいていったが。
その彼から、差し出されたものに目を見開いて
……あ、あ。そうだ。
[彼の処に忘れていたんだった。
その事を思い出せば、眼鏡を思わず抑え、すまないとその原稿を受けとろうとしたが、続く一言に固まってしまった。ピシッと音がするようだ。少し見たって、……待ってほしい。
見たのか、いや、見ても大丈夫なはず]
………見た。
[見ても大丈夫なはずだ。
そう其れはただの題名だ。何度も消して見えなくなったはずの。うっすらと残っていてもきっとばれやしない。『恋』という文字が見えても。
擦れきった『時計屋』の文字はきっと]
いや、恥ずかしい。
大の大人が、……恋だなんて。
[墓穴を掘った気がする。
原稿をようやくと受け取れば其れを直ぐ近くのテーブルの上に置き、眼鏡を何度と直した。ズレてもいないのに、何度と動かし。それから、いや、私の事ではないんです。と言い訳をして]
メモを貼った。
… 子どもの頃、見た物語りに憧れて
書いていたはずなんだが
何故か。その
[『恋』などという単語が沸き立つような物語になってしまった。言い訳を重ねようとするたびに、段々と酷い事になっていく。
そんな気がして、色んな意味での羞恥に
自分の顔が耐えられそうになく
平素とは比べものにならぬ赤が刺して*]
[酒場を過ぎた港周りは暗く、遠くに船と灯台の灯りがあるだけ。
潮騒と海風に吹かれ、どれくらい彼の後に続いたか。]
……何処に行く気だ?
[急に動いたことで巡る酒精に軽く息を切らし、半歩先にある彼の背中に問うが、制止はしなかった。
ここで振りほどくくらいなら、とっくにそうしている。]*
メモを貼った。
見られてたのか。
[作業中は周りが見えなくなるから、じっくり眺められたところで気づきもしなかったろう。
その視線に気づいていたら、この関係はもっと早くに変わっていたかもしれない。]
嫉妬、とか。
なんかくすぐったいな。僕みたいなやつに。
本当、君に好きになってもらうなんて勿体ないような人間なのに。
でも。
……もう、しなくて済む?
[身体を起こして、ふ、と小さく笑う。
隣の彼の、顔を見たかった。]
うん、そう……そうだ。僕も、勝手に諦めてた。
こんな憧れが募って形になったみたいなの、青臭いし。
たまに会えるだけで、近くで見られたらラッキーで。
本当、馬鹿みたいだ。
[やっと見られた顔は、少し濡れていた。
ひとつだけ残ったキャンドルが揺れて、その跡を微かに照らす。
彼の肩に腕を回して、もっと近く、と身を寄せた。
万一誰か通っても、こんな愛しい顔を誰にも見せないように。]
メモを貼った。
[すっかりと酒場の空気は出来上がっていて、己が彼の手を引いても誰も止めはしなかった。マスターは羽振りの良いチップに喜んだだけで、己の勤務を知っている同僚らは“良い休日を!”と囃すだけ。
連れ去られる彼を按じないのは、それだけ己に信頼がある所為だ。――― この場で己に危機感を覚えねばならぬ相手はひとりだけ。
彼の手を引き、夜の潮風を浴びてズンズンと進む。
足取りが雄々しいのはこれもまた酒の所為。
アルコールは確かに血中に回るのに頬は朱色を知らず。]
……俺が付き合ったのは、年下の女の子だけです。
でも、ずっと一番好きだったのは電車です。
[淡く呼気を漏らして質問の答えを態と避けた。
代わりに吐いたのは、彼よりは控えめだろう恋愛遍歴。
その間も歩みは波止場に別れを告げて、街灯に誘われるように路面電車の終点方面へ向けて舵を取る。倉庫と空地の並んだ静かな港地区を闊歩。]
現行車両も可愛いけど、俺が鉄道員になりたかったのは、
旧式の――― ORS-1型に憧れていたからです。
古い型だから色々と不自由もあるんですが、
その分、オリュースの鉄道史を語るには外せない存在で。
俺はその貫禄と言うか、積み重ねてきたものと言うか、
誇り高いプロ意識が特に好きなんですよね。
[酒場でも同じ話をしたが、二度も熱を込めて語るのは、酔っているからではなく通常運行。空の拳を胸の前で握り、天を仰いで真剣な顔を晒し。
ふと、瞳が緩む。]
……だから、貴方にも、
同じものを感じていると思ってた。
でも ――――、
ちょっと迂闊過ぎませんか?
[焦れるように肩越しに流す碧眼。
彼の風通しの良い鎖骨に視点を置くのは露骨な行為。]
疲れて寝てしまうのは分かるんですが無防備過ぎます。誰がどんな眼で貴方を見ているか分かったものではないのに。ハワードさんは自分が持つギャップを知らないからピンと来ないかもしれませんが、気付いたら三十分くらい経っていて俺も驚いたくらいなんですよ。あと、口元に触れてぼんやりするのも疚しい眼で見る人がいないとも限らないと思いませんか。いえ、別に是正してほしい訳ではないんですが。大体、見るからに怪しい依頼は受けるべきじゃないですよ。俺の話ではなく一般論ですけど、金で買ったと興奮するタイプは大体碌なこと考えてませんから。いや、俺の依頼は良いですよ? 俺は良いですけど。
[……憧れとして数えるには、言い分の八割が俗物だった。
文句の語調を取りながら、年若い婦女のミニスカートを注意するソレと大差ない。彼が飽きれても仕方ない。]
メモを貼った。
[ゆっくりと足を止めれば、視線を傍らのビルに向けた。
外階段で繋がる三階建ての鉄筋コンクリート、人の気配はない。]
……デートが初めてなら。
お持ち帰りっていうのも、
初めてだったりするんですかね。
[答えを求めず呟くと、そこで漸く身体ごと振り返った。
微かに孕む緊張と、ともすれば熱に揺れてしまう瞳と。]
一階と二階は倉庫なんですが、三階は俺の家です。
―――…意識してくれましたか?
[腕を軽く引き寄せれば、そのまま解放し。
代わりに五指が掛かるのは彼の近付いた腰。
酔っ払いに似合わぬ流れる仕草。
逃がさぬように、強く、抱いて。**]
メモを貼った。
メモを貼った。
[掴まれた掌が熱くて、痛い。
此方の歩幅なぞ構わず進むから足は時折縺れるし、酒精が巡って息も途切れる。
というのに、自身の三倍以上も酒を飲んだ筈の男はけろっとしている。酔うのも早いが覚めるのも早いタイプか、それとも顔や言動に出ないだけか。質より量、の意味を改めて考える。
──同じ酒量を飲んでいたら潰されていたのは此方だったやも。
ともあれ具合が悪くならないだろうか、と按じながら大人しく後に続くうち、見慣れた道に出る。
終着駅も近いこの辺は早朝のランニングコースだ。]
メモを貼った。
……はあ? 何、…
[頭の芯がぼうとしかけたところで、不意に返る声に、今日何度目か解らぬ間の抜けた相槌が零れた。
彼が鉄道を愛し、電車を愛し、仕事に誇りを持っていることはこの数年、数週間で目の当たりにしていたが、まさか同列と捉えられていたとは。
呆れていいのか喜んでいいのか判断に迷うところではある、が。]
迂闊、と言われましても……ちょっと、待て
……私のどこに比がある? 全部、きみの主観じゃないか
[続くマシンガントークは呆れていいところだろう。
疲れて、とは冬の日か。三十分、とは一体何だ。
口元に指をあてる時はぼんやりではなく真剣に考え事をしているし、是正しなくていいなら放っておいてくれ。
だいたい、怪しい依頼をしてきた本人が何を言う。
それだって相手が君だから受けたわけで、もっと言えば君からの依頼だから良くないんだ。
──だめだ、今は思考がまとまらず、言葉にならない。
なのに、彼の声だけは一言も漏れず耳に、裡に響く。]
メモを貼った。
[とはいえ、このまま駅へ向かう可能性を捨て切れないのは、脆い心が張る予防線。
彼の足が漸く止まる頃には、汗でシャツが湿っていた。]
は……ああ、そうだな
持ち帰るというより部屋から部屋、…じゃなくて、
[正しく迂闊な唇を噤む。
乱れる呼吸を整える間に、鮮やかな手付で腰を捕らえられ、じ、と碧眼を見据える。背後に細い一条が見えた気がしたが、今は流星を数える余裕はない。]
──…まだ、君に話していない大事なことがある
[意識なんて、とうの昔に。
は、と顔を逸らして息を吐き、半端な隙間を詰めて囁いた。]
メモを貼った。
──…階段はゆっくり上ってくれよ
何度も言いたくないが今年で59なんだ
[歩き出す前にそう、釘を刺すのも忘れなかった。]**
─屋根の上─
[スリと告白した後のヒイラギの反応
怒り。
拒絶。
軽蔑。 …当然だ。
諦めという名の泥が胸底に重く積もってゆく。]
………… あァ。
[店に来るなと言われ。
クマのぬいぐるみは乱暴に返却された。]
……
[来週も待つ
来週も会いたいと願ったのは自分なのに、望めない。
息苦しくて、…辛い。
分かっていた結末なのに、それでもヒイラギの、あの綺麗な双眸が曇って、苛立ちや怒りを宿しているのを見るのは苦しかった。]
…ヒイラギに。
奢られたくなンか ねーよ。
[やっとのことで言えたのはそれだけ。]
[懇願する瞳
それ以上はあまりに胸が痛すぎた。
視線を逸らす。帰ると告げる声。逃げるような足音。]
…
[独り残された屋根の上で、天を仰いだ。
ついさっきまで綺麗だと思えた星の光が息苦しさに滲む。]
知らなかったンだ。
[ぽつり。呟く。]
[悪事に手を染めてると──
こういう時にこんなにも苦しいことを。
大事な誰かを苦しませてしまうことを。
普通に働くより楽だと思った。
気軽な気持ちで手を出した。
でもそんなの一時的なマヤカシで…]
…ッ
[顔を覆う。
昔の愚かな自分を呪いたかった。*]
─幕間・4週目の平日─
………むむむ。
[厳しい表情で睨むのは1枚の紙。
以前、どっかのジイさんの財布に挟まっていたものに似た、求人広告の貼り紙だ。]
働く。
……仕事、…なァ…。
[意を決して訊ねた────ものの、圧迫面接で返り討ちにあった。]
だーーーーーーーーーッ
[次のところは歓迎されたが、職場の他のヤツらに生気がなく目の下にクマだった。
ブラック臭に回れ右した。]
がーーーーーーーーーッ
[仕事探しとはなんと難しいことか。]
ヤベえ…
なんで世の中のヤツらって普通に仕事できてンの。
凄くね?
[直射日光の照りつける中を歩きながら、恨めしそうに街行く人々を見送る。]
だいたい集団行動とかすっげーー苦手だしよ。
まともに働いたこともねーし…
[結果、面接で惨敗という訳だった。
ブチ猫が足元でニャゴニャゴ構ってコールをしているが、気力がゼロでそんな気にもならない。
明日はまたペルセウス・マーケットが来るというのに。
……自分は、まだ何も変われていない。]
[ニャゴニャゴニャゴニャゴ。]
はァ…
[本日何度目かの溜息を吐く。]
[ニャゴニャゴニャゴニャゴ。]
おい。だァからオレはな──… ん?
[文句を言おうと煩いブチ猫を睨むと、猫は鳴きながら1点を指し示している。
どうやら少年と犬のコンビのようだ。
少年の前には身なりのいい男性。片足を前に出し──どうやら靴を磨いてもらっているらしい。
確かによく耳を澄ませば、少年の明るい客引き声
靴磨き…?
──────!!
[その手があったか。と、内心で膝を打った。]
おいちょっとそこの アンタ…!
遣り方教え────
[てください。
オーケーオーケー丁寧語。
大事っつーのは惨敗続きの面接で学んだし。
そうして靴磨きの少年の元に。
愛想の浮かべ方を知らない男が弟子入り(?)したのだった。*]
─4週目・店の裏手─
[0時前。
ヒイラギの待ち人が現れる気配は何処にもない。
ただ代わりに…
ニャアアアアア、とブチ猫がのっそり姿を見せた。
よく見ると、首に細い皮紐がリボン結びされており。
くるくる丸まった紙片が、首輪と一緒に巻かれている。]
『来週。ヒイラギの店に行く』
[紙片に記された文面はその一文のみ。**]
メモを貼った。
メモを貼った。
― 4週目・店の裏手 ―
だよな。
[0時半を過ぎるころ、しゃがんだままぽつりと呟いた。
これまでだったら、と言っても二回だけだが、ここに現れていた時間にも、彼の姿はない。
分かっていた。
分かっていたけど、辛かった。]
…ねこー
[少し前からいつものように、反対側の塀の下に、いつかシーシャと一緒に店に来たぶち猫が佇んでいた。
どこからか魚の骨のようなものを持って来て、舐めたり、飽きたら顔を拭って毛づくろいしたりを繰り返している。
その姿に、小さく呼びかけた。]
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