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[仮想世界が壊れる間際。
罅割れた空間に紛れ込んだノイズ
雑音の中でも聞き取れた。
電子音と共に、のしかかっていた負荷が消える。
力なく項垂れていた首をもちあげて。
うっすらと光を取り戻した翠を、
擬体を撫でているミナカタへと向けた。]
……おわ、った…の。
[まだ調整の効かない、少し雑音の混じる音で。
すべての感覚を戻していない状態では、
全員が無事に目覚めたのかはわからず。
彼らの様子を尋ねると同時に、
ミナカタの表情を窺う。]
[掌の下。小さな頭が動く。
視線を落とせば、翠が光る。]
――起きたか。
[名前を呼ぶことはやはりなく。
雑音の混じる音に腰を落として。]
ほら――口開けろ。
[桃色の包みの飴を取りだした。
開けて彼女の唇に砂糖菓子をあててやる。]
……お疲れ。
辛かった、な。
[砂糖菓子をポプラは食べただろうか。
ゆっくりと彼女の頭を撫ぜながら。]
……ただいま。
[「あの時」言えなかった言葉を。
なんだか口に出したくなった。]
[壁に広がるモニタの電源は全て落ちていた。
誰が落としたかは、一人しかいないだろう。
口元に当てられる飴を、
すこしぎこちなく口を開いて受け入れる。
広がる甘味に、「現実」に戻ってきた実感を得た。]
……つらいの、は……あのこたち。
[撫でる手に、首をゆるく振って。
実験を止めることもせず、
「悪夢」の世界を作り上げたのが自分と知ったら、
もう以前のように接してくれなくなるのだろうかと。
そんな身勝手な恐怖を抱く。
決して、口にはしないけれど。]
[「ただいま」と言われて、
それは逆じゃないのか、と。
しばらくの間、ミナカタを見つめて。]
……おかえりなさい…みぃちゃん。
それから……ただいま。
[「わたし」が目覚めた時と、同じ言葉を返した。]
――お前も辛かっただろうが。
[己も、とそれは口に出さず。
白銀の髪を撫でて、撫でて。
視線はどうしてもカプセルへと向く。
あの髪に最後に触れたのはいつだろう。]
[返された言葉はあの時の言葉。
やはりこれは、ポプラなのだと。
彼女――カリュクスではないのだと痛感して。
理不尽にも、彼女に溜息をつきそうになり。
それは押しとどめて――ただ、頷いた。]
落ち着いたら上に行くぞ。
チアキと――ソフィアも、眼が覚めてるだろう。
[ポプラがためらうようだったら
手を伸ばして彼女を抱き上げようと。]
[辛いのは、強制される側。
またはそれを見ているしかできない側。
少し外れる視線に、細く呟く。]
…… 、いなかったら。
[こんな悪夢が実現されることはなかったのかもしれない。
口にするのはまだ、躊躇いがあるけれど。]
………。
[上へあがるのは少し躊躇われて。
それでもミナカタに抱えられれば、地上へと。]
……忘れるな。
[余計な事を考えていそうなポプラが
それを本当に口にしたら
きっと自分は壊れてしまうだろう。]
お前が死んでいれば
俺はここにはいない。
[この研究所もきっとないまま。
子供達にはもっと酷な日々があっただろう。]
[地上に出る前。
わずかな時間だけポプラを見下ろす。
ここでこの擬体を壊したら
精神だけが元の身体に戻って
彼女が目を覚まさないかと――
そんなばかげた妄想を。いつものように。]
……でも ……
[死んでいたら、
こんな思いもしなくてすんだだろうに。
言葉は途中で打ち切る。
もし表情があったなら、
醜く歪んだ笑みを浮かべていただろう。
もしもあの時に生にしがみついたりしないで、
そのまま死んでいたのなら。
ミナカタも、こんな飼われるような生活ではなくて、
もっと別の場所で、楽に。
死んでいただろうか。]
……いつでも…いいよ。
[こちらへと向けられた、
少し濁るミナカタの目に音を投げかけたのは。
実験の後で、箍が緩んでいたから。
疲れていた。こんな歪んだ生き方に。]
[なおも食い下がり続けるポプラの様子に
すぅっとその双眸は細められる。]
死にたかったか?
あそこで、死にたかったか?
……悪かったな。死なせてやらなくて。
お前をずっと縛り付けて。
お前が、
[ポプラを抱く腕をゆらりと揺らす。
大丈夫だ、まだ耐えられる。
まだ――]
お前が、悪いんだ……
[立て続けに見せられた子供達の実験。
それは自身の心をも酷く苛んでいて。
零された、ポプラの言葉には
耐えられなくて、その身体を――
床にたたきつけるように 落とす。]
――っ……!
[自身のしたことには
ポプラが落ちた音と同時に気がつき。
慌てて駆け寄って、小さな身体を抱き上げた。]
すまんっ……! 大丈夫か、どこか壊れて――
[誰を心配しているのだろう。
何を心配しているのだろう。
これはただのぬけがらなのに。]
[叩きつけるような声。
こんな声を向けられるのは、
「ポプラ」として目覚めてからは初めてだろうか。
体を支えていた手が消えて、
重力に流されるまま、床へと落ちる。
研究所の技術で作られた擬体は、
この程度の高さから叩きつけられたところで
傷ひとつつかないが。
再度抱えるミナカタの頬に、手を伸ばす。]
……わたし…が……願った……から。
[おかえりを言いたかった。それだけ。
その願いは確かに叶って、
そしてその願いが「今」の「研究所」を生み出した。]
………みぃちゃんは…わるくない。
[落としたことか、実験のことか。
“あの時”あの場にいなかったことか。
ぺたりと頬に手をつけて。
笑ったように、見えただろうか。]
[小さな手が頬に触れる。
これは紛い物の手。
偽物の手。
それでも、それは伸ばされる。]
……俺も、共犯だろう……?
[掠れた声で答えながら。
感情の浮かばないポプラの顔を覗き込む。]
[そうやって守られて。
あの時だって彼女はそう言った。
自分がいれば止めれただろうに、と
そう後悔する己に。彼女はそう言って。
それから、何度も言い聞かせるように。
まるでそれが事実であるかのように。
本当は、彼女の方こそ何も悪くないのに。]
……ぃ
[ギリと奥場を噛む。
細いポプラの手を掴む。]
[いっそ折ってやろうか。
もう、心を揺らされないように。
彼女と同じ色の髪も
補色になっている瞳も
ぜんぶ。目の前から消してしまったら。
――きっと、何も考えずに狂えそう。]
[腕にかかる圧力を検知する。
人の力でどうこうできる強度ではないが、
内部で鳴る警告音は無視をして。]
……みぃちゃん。
[ただ、紡ぐ。
今も昔も、同じように。]
……なあ、教えてくれ。
お前はどっちなんだ?
――カリュクスなのか。違うのか。
元に戻るのか。
俺はいつまで待てばいい?
俺が死ぬ前にお前は、目を覚ますのか……?
[聞いてはいけないことが。
ぽろぽろと口から零れる。
危うすぎる均衡。
よくもこんな長い年月もったものだ。]
――「みいちゃん」と呼んでいいのはカリュクスだけだ。
[指先を、ポプラの細い喉に。
これを壊したところで彼女は
死ぬことなんて絶対にないだろうけど。
この長い年月で己の心に根を生やした
この存在を心から消し去ることは出来るだろう。]
――答えるな。
だから代わりに、そう呼ぶな。
[ポプラにはそう告げる。
まだこれを壊すわけにはいかなかったから。]
……俺は
[腕をつかむ力を緩めて
喉に当てた指も離して。
いつものようにポプラを抱き上げて。
ただし声の温度は低く。]
俺は、籠の鳥でよかった。
カリュクスを失うぐらいなら――
[ただもう一度あの紅を見つめたいだけなのに。
その望みはこんなにも――遠い。]
[答えようと開いた喉に指先が添えられる。
力はほとんど込められていない。
悲鳴のように突きつけられた通牒に、
機械の顔の内側で嘲った。
あの時の願いは、叶えてはいけなかったもの。
この擬体は、望んではいけなかったもの。
一番望んでほしかった人に、
誰よりも何よりも、疎まれている。]
[抱えられ、ミナカタの望むとおりに無言のまま。
腕の中で低い呟きを聞く。
彼の望みはまだ、叶えられなくて。
これからも、叶えられるかは知れなくて。
自分の望みは悪循環ばかりを招いて。
それでも、自分はまだ動いている。
階段をのぼれば、
地下への入口ともども、揺れる感情に蓋をする。]
[片手で抱きかかえれる身体。
本物の彼女よりずっと、ずっと軽い。
それでも迎えてくれてうれしかった。
同じ言葉で「おかえり」をくれて
本当は、よくできた紛い物などと思っていない。
カプセルの中ずっと目覚めない彼女のほうが
今では人形のように思えてしまう。
嗚呼――そんなことを言ってしまったら
ポプラの中に居るカリュクスをどれだけ傷つけるだろうか。
擬体の中にまで入って待っててくれた男は
もう己を待ってもいないし、必要ともしておらず
作り物の中にいる存在を]
[愛してしまっているのだと。]
[だから名前を呼ばない。
呼べば本当にカリュクスが過去になってしまう。
それを何より恐れて
その後に彼女が目覚めることを何より恐れて
愛しく――憎い擬体を抱えて
階段を上って地上へと。]
――な、ぁ
[掠れた声での囁きは。
絶対にポプラの耳でも拾えないだろう。]
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【人】 琴弾き 志乃― 食堂にて ― (297) kasuga 2013/07/09(Tue) 23時頃 |
……カリュクスはもう目覚めない。
だから……もう自由になっていい…の。
――お前も、死ぬのか?
[だから淡々とした温度のない声で尋ねるのは違うこと。
元になったカリュクスが目覚めない、ということは。
そのまま――ポプラの「自我」にも関わってくる。]
―ー 『今までありがとう。長い夢を見させてくれて。』
……ポプラ。
[呼ばなかった名前を、そっと呼ぶ。
瞬きはまだあるだろうか。
彼女が彼女ではなくなる前に、言葉を紡ぐ。]
お前が好きだよ、ポプラ。
[子供達に惜しみなく愛していると愛を注ぐ男が
誰にも一度も告げたことがない気持ちを。]
お前が好きだ。
今まで側に居てくれてありがとう――
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