88 めざせリア充村3
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―― 自室 ――
[無機質なメッセージ。そこにある名前を見て顔がこわばる。
今度の名前は――ヨーランダ。
灰の髪を持つ預言者だった。]
……あいつは。だって。
[誰もいない部屋で声が零れる。
ここだけはポプラの監視も入っていない。]
だって――あいつは、能力を使ったら……
[ここを出て、戦いの中で生きていく子も多くいる。
軍の中で出世していく子もいる。
けれど、彼女は。]
……くっそ……
[浮かんだ涙が頬を滑って落ちた。]
― 制御室 ―
[暗い暗い部屋の中。
カプセルの中に青白い人工の光に包まれて
ぼんやりと浮かぶのはもう一人の「わたし」の顔。
肉体の眠る器の傍らに腰かけて、上からの通知を見る。
翠の眼を何度瞬かせても、映る名前が変化することはない。]
……ヨーランダ…なの…。
[目的は彼女の能力と判りきっていた。
あの子の能力は、とても重宝されるだろう。
戦いにおいても。政治においても。
だけどそれは、ヨーランダ自身の命を削る。]
……みぃちゃんも…ヨーランダも……見てる…よね。
[二人のチェックはすでに入っていた。
いつも勝気なヨーランダが今どんな顔をしているかも見たくなくて。
少しだけ、ほんの少しの間だけと、カメラからの映像を遮断した。
遮断する前、眼の届く範囲にミナカタの姿はなく。
自室にいるのだと推測はできて――
会いに行きたかったけれど、今はそうすべきじゃないと。
振り払うように、暗くなった視界を更に閉じて、膝を抱えた。]
――診察室――
[どんな顔で告げればいいのかわからなかった。
ヨーランダは敏い。
自身の能力が命を削ることもわかっていた。
彼女にとって、外に行くことは死に行くことと同じだ。]
……なあ、俺は何のためにいるんだろうな。
[ヨーランダが呼び出されてここに来る前に、
傍らにいるポプラに思わずそんな言葉を漏らす。]
― 診察室 ―
[ヨーランダがもうすぐここに来る。
自身で見た現実を、もう一度突きつけられるために。
外の世界へ出ていく前のカウンセリングとして、
この場を設けることは義務付けられているけれど。
こんなの、誰も救われない。]
……みぃちゃん、
…けど……みぃちゃんがいるから…
…ここにいる子達は……笑っていられる…の。
[聞こえた呟きは、滅多に見せない陰の部分。
どれだけ守ろうとしても奪われていくやるせなさは、
上や外との折衝役でもあるミナカタの方が何倍も強いだろう。
だけど、他にはもっと酷い環境のところはいくつもあって。
それはこの研究所の昔も同じこと。
だから、今。ミナカタのしていることは無駄じゃないのだと。]
[昔は酷かった。
被験者は犬猫扱いならばまだましであり、実際消耗品の武器と変わらぬ扱いで、ベッドすらない部屋もあった。
温かい食事があるかどうかも運次第。
今のこの施設が良いのは、ミナカタとポプラが必死に働きかけて、
そしてきちんと成果をあげているからだ。
温かく美味しい三度の食事。
綺麗なシーツ、充実している医療器具。]
……俺がいなくたって、あいつらは笑えるさ。
[苦く呟き、優しいポプラの言葉を否定する。
彼らに必要なのは、優しい監督者であって、
男本人ではないはずだ。、
……それでも…今ここにいるのは……みぃちゃんなの。
[否定を更に否定する。
父親のように慕う志乃も、
ミナカタを手伝うリッキィも、
いなくならないよねと聞いたオスカーも、
他のみんなも。
ミナカタがいなくなれば悲しむだろう。
必要なのは確かに肩書きかもしれないけれど、
今の研究所を作ったのも、皆に慕われているのも、
他の誰でもなく、ここにいるミナカタだ。]
そりゃ、お前がいてくれたからな。
[ポプラの言葉に小声で返す。
それを聞いた彼女の表情はどうだったか。
見たくなくて視線をそらしたまま、
それでも礼の言葉は述べる。]
――ありがとう、……
[しかし名前を呼ぶことはない。
本当のも、偽のも、どちらも。]
[扉へのおざなりなノックが聞こえる。
許可を出す前にガラッと乱暴に開かれて。
そこにいたのは、もちろんヨーランダだった。]
「めんどくさいわよ、もう顔も見たしいいでしょ?」
[開口一番がそれで、ああ彼女らしいなと。
思いながら、席をすすめる。]
……知ってるとは思うが。外に行くことになった。
「分かってるわよ、準備させていただいてよろしい? センセ」
[何も恐れていないのだと言いたげにほほ笑んだ彼女は。
自身の未来までも見えているのだろうか。]
[向けられた言葉に、音に詰まる。
わたしはまだ、在てよかった?
役に立つことができている?
変わらない、返られない表情の向こう側で、
ぐるぐると思考は渦を巻いて。
続いて聞こえた五文字には、ゆっくりと首を振った。]
お礼を言う……のは…わたし……なの。
[ミナカタがいなければ、こうして擬体で動いていることもない。
ただの電子の海に揺蕩うだけの存在に成り果てていた。]
[やがて現れたヨーランダは、面倒そうな表情を隠しもせずに。
口にする言葉は普段通りで、わずかな震えもなかった。
勧められた椅子に腰を下ろして足を組んだ彼女は、
昨日までと変わらないヨーランダだ。
明日以降も、どこに行っても変わらずにいると、
彼女自身の強い意志を窺えて。]
……ここにいる間…に……しておきたいこと…ある?
[微笑む彼女に問いかける。
この中で叶えられる望みは少ない。
けれど、彼女の行く先を思えば、外では更に少なくなる。
「そーねぇ、」
特にないんだけど、と首を捻ったヨーランダが、
最終的に決めたのは研究室の掃除だった。]
――カリュクス
[答えない白い顔を覗きこみながら。
彼女の名前を呼ぶ。]
[ここで眠る自分を、ミナカタはどんな思いで見ているんだろう。
あの頃から変わらないままの姿を。
このセキュリティ権限は委ねられているけれど、
唯一このカプセル周りだけは上が権限を持っている。
だから、上からの指令に背けばカプセルの電源は落ちるだろう。
たとえばここと外をつなぐ扉を解放しようとしたりとか。]
[いつ起きてくれるのだろう、とそれだけを。
彼女の姿を見るたびに思う。
やはり手紙は書いておけばよかった。
あの時の想いと今の想いが、同じなのか異なったのか。
そんなことも自身では分からない。]
……カリュクス
[呼びかける先はカプセルであって、
隣にいる小さな擬体ではない。]
[ちらと向けられた視線は再びカプセルへと向けられた。
並んで立ち、しばらくカプセルを眺め。
――それからどのくらい時間が経ったのか。]
……みぃちゃん…あまいの。
[袖を引いて、強請った。]
[呼ばれるのは元の名前。
その名を今も呼ぶのはミナカタだけだ。
自分のもののはずなのに、懐かしいと思ってしまうのは、
ポプラとしての年月がカリュクスを追い抜こうとしているからか。
起きるのを待ってくれているのだという、淡い喜び。
だけど、そしたらミナカタが見ているのがわたしなら、
ここにいる“わたし”は誰だろう。]
[袖を引かれて視線はもう一度傍らにいるポプラへと。
いつもの行為だったから、何も考えずにポケットに手を入れて。
桃の包紙につつまれた飴によく似た砂糖菓子を取り出した。]
……ほらよ。
[包紙を解いて、ポプラの口元に持っていく。
唇があけば、その中に押しこんで。
手があけば頭を撫でてやろうとして、その手は途中で止まった。]
[本当に撫でたいのは誰なのだろう。
飴をやって甘やかして、慈しみたいのは。]
[視線がわたしから“わたし”へと移された。
固まりを押し込まれればそのまま口に入れる。
ほろりと中で崩れた砂糖菓子の淡い甘みは、
付加してもらった味覚のおかげで感じることはできた。]
……みぃちゃん?
[宙で止まった手に、首を少し傾ける。
迷うような素振りに気づけば、翠を翳らせた。]
[首を傾けたポプラに声をかけることはなく。
その手は彷徨いながらも、そっと彼女の頭の上に置く。
結局何もかも中途半端でしかなくて。
それが余計に困らせているのだろうけれど。]
――……
[やはりその名は呼べなかった。]
[呼べば認識してしまうだろう。
彼女が「ポプラ」であって「カリュクス」ではないことに。
もしもそう思うようになってしまったら、
いつかカリュクスが目覚めた日に、ポプラを失うことになる。
そんなことは耐えられなかった。
だから、ポプラの名など呼べるわけがないのだ。
あくまでもこれは擬体だから。
ポプラという生き物は存在しないから。
そしてこれをカリュクスと呼んでしまえば――
なんだか、これ以上彼女を待てない気がしてしまっている。]
[彷徨っていた手は頭に置かれた。
ぐしゃぐしゃとやや乱暴に掻き回されてる。
押し付けられる力に抵抗するように顔を上げて、
――開きかけた口が閉じるのを見て、くるりと瞬きを。
ミナカタが困っているのはずっと分かっている。
隠しておきたいことも分かっている。
確信もなければ、訊いたこともないけれど。
……たぶん、それは。
ミナカタが“わたし”の名前を呼ばないことに関係している。
だから訊かない。
訊いてしまったら「今」が壊れてしまう気がして。
だから何も気づかない様で、抗議するように
手をばたばたと動かした。]
ああ、悪い悪い。
[ばたばたと手を動かしたポプラに謝って。
乱暴に頭を撫でていた手を引っ込めた。]
もう一つ食べるか?
[機嫌を取るようにポケットから飴を出す。
先ほどと同じ桃色の包紙を開いて、砂糖菓子を口へと持っていく。
彼女が何も言わないのに食べ物を与えるのは、
話題をそらしたい時だとばれているだろうけど。]
――掃除は進んでいるかねぇ。
[診察室が荒らされているとは知らず、
ぽそりとそんなことをいって、意識を区切った。]
[抗議が伝わったのか手が離れる。
離れてほしかったのに、寂しく感じるのは我侭だ。]
……いる。
[機嫌を損ねたふりをして、ふたつめをもらう。
さくりさくりと砂糖菓子を砕きながら、
聞こえる声がいつも通りのものになったのを確認した。
…今日は三つ目はないかな、と思いながら。]
……進んでる…けど……
……みぃちゃん…色々見つかってるよ……
[ぽつり、意味深に呟いた。
制御室のモニターをつければ、各所のカメラ映像は見られる。]
[パッとモニターがついて、診察室が映し出される。
ちょうどモニカが黒いあいつを見つけたところだっただろうか。
傍らにいたオスカーはちゃっかりエロ本を読んでいる。]
あー……懐かしいなあれ。
何年前だかに、どうしてもって頼まれて密輸した。
[ある程度の年がいった男子の被験者だった。
本来ならその類は厳しい規制があるのだけれど。
内緒にするという条件付きで。
……で、問題はどうして診療室にあるかなのだが。
もしかしてあそこ隠し場所にしてたのか。やるな。]
……元気にしてるかね。
[幸い彼の名前はまだ報告されてこないから、
きっとどこかで生きている。]
[診察室はなかなか楽しいことになっているようだった。
オスカーの実年齢を考えると、情操教育によくない気もする。
ちらりと横を見れば、ミナカタは平然と眺めていたので、
あれは痛くない腹だったようだ。
考えてみれば、使っているのを見たこともなかった気がする。]
……聞いてない…。
[「密輸」の一言に、思わず音にノイズが混じったが、
過ぎたことを咎めてもしかたない。
証拠は隠滅されるようだったし。
さて、そんなことをミナカタにお願いしちゃう子は誰だっただろう。
久しぶりに思い出した、まだ外にいる子の顔。]
[男は皆通る道だ、頑張れ。
とかなんとなくオスカーにエールを送ってみたりする。
ポプラが視線を送ってきたいたが
まったくもって痛い腹ではないので平然としていた。
ちなみに黒いあれにそっくりなモノは、
何かの折に誰かが入手していたものをいたずらに使って
没収とかしたような気がする、そんな遠い昔の話。]
ああ、男同士の秘密ってヤツだからな。
[ポプラの言葉には笑ってそう返し。
ナユタが雨を呼んでいるのを見て、おおと手をたたく。
チアキも似たような事を。
お前ら。隠し通せる限界をしっとけ。]
……能力、は禁止なんだけどなぁ。
[報告するなよ、とポプラに笑いながら言った。]
…んー……がんばってみる…ね……。
[訓練場以外での能力の使用は禁止されているけれど、
多少の使用はいつもこっそりもみ消している。
今回もその延長線上。
お風呂場と食堂と、それから……
そういえば中庭もあったのだっけ。
[ちょっと大変そうだけど、これくらいなら許容範囲。
返答と共にぱちりと翠が瞬いて。
少し楽しげで、慈しむように。]
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