そういういみでは、ほんとうに無垢であったのは、『少年』ではなくその人だったのかもしれませんでした。
『少年』は、無垢というよりは、多少 “ものわかりがいい” のだとしても、むじゃきでわがままでしたから。
けれど、無垢というものは、言いかえればまっしろでしたから、かんたんに汚されてもしまうものでした。
だから、ココロというものはよくないがしろにされるのだとも、かんたんにきずつくのに、なかなか直らないのだとも知らないのでしょう。
それに、空っぽだったものにめいっぱいつめこむと、どう、なるのかも。
そうはいっても、『少年』にはまだ、その人を嫌ういみなんてありませんでした。
それに、ココロをよく知らないもの>>330、ということも分かっていませんでしたから、ひどくむかんどうに見えることがふしぎなこととしか思えなかったのです。
(363) 2018/10/12(Fri) 02時頃