[他人行儀、だと、寂しい、と謂う。>>254
青年が知覚するのは、思う以上に父と先生が親しい友であったらしい事のみで、そこにあった銘々の想いだとかまでを知る事はないが。
此の時ばかり、若造に過ぎぬ己が先生へと崩した口を利くのは赦されるだろうか。
説教だろうと折檻だろうと請負う覚悟の上で、青年は父により近くあろうとする。
その傷に耐えかねたならば、何の予兆もなく。
朽ちる素振りの片鱗もなく、その姿そのままで落つるばかりだ。
首斬華が、左様であるように。
冗談の混ざる笑声を食らうように跳ぶ蛙を物の怪などと謂ったは、偏に“雑音<ノイズ>”の名を読み拾っていなかったからに過ぎない。]
…扨、如何か、
手立てが在るかまでは知らないもので。
[サイキック、のところは読み飛ばしたもので、2人が契約しなけりゃならない事までは把握したが、それで如何なるやらはとんと知らないのだ。]
(276) 2017/06/10(Sat) 02時半頃