[ちなみに、交易商人は来ずとも、採算度外視で危険も顧みずに熊襲を訪れる南蛮人はいた。
宣教師である。
彼らは病人を治療し、隣人愛を説いて信徒を増やしていった。
それとはまったく別の理由──側女に迎えた南蛮女が異教徒には身を任せないと主張したのだ──から、先々代領主(父)も改宗した。
生まれたばかりの頃に勝手に洗礼されて「ガストン」なる南蛮名ももっている番瓦衛門も形式的には天主教徒ということになるのだろうが、聖典を読んだことすらない。
家紋に定められた角桛は天主教のクルスがモチーフなのだと金髪の母は語ったが、そこは眉唾物である。
なにしろ、その紋を受け継いだ先代(正嫡の兄)や、その息子である現当主は天主教徒ではない。
番瓦衛門も、妻を娶るときに改宗など求めなかった。
ただ生まれたひとり息子は異教の宣教師とともに海を渡っていってしまったが──]
(176) 2015/05/17(Sun) 21時半頃