いいえ、いいえ存じません…!
それは、貴方様の大切な方のお名前なのでしょうかと……。
[聞こえた疑問符に、瞳を閉ざしたままふるふると首を横に振る。
ただ、その名を繰り返した時の優しげな声から大切な"誰か"なのだろうかと推測してみた。
人を思いやる時の声は穏やかになるのは知っている。知っているからこそ装う事もあるが、今の男がそうであるか否かは分かることが出来ないでいた。
艶やかな黒髪の先が首を振るたびに舞を踊る。
涙を零してしゃくり上げ、どうしてこんな恐ろしい事になってしまったのか────情けない事になっているのかと、怒りすら覚え始めていた頃。
現実は残酷で、見ようとせずともその姿を無理やりにその姿を誇示してくる。
目の前にしゃがみ込み、視線すら合わせようとする。その片方は空洞だと言うのに。
ビクン、と体を跳ねさせては相手を見上げた。
固く閉ざした両耳は片方は無理やり手を剥がされて、抗いようもなく。
抗った所で、今の男には力では敵うはずも無い。
だから、軽く力を込めて抵抗の意思を示したものの、それだけで無駄な抵抗はしなかったが────]
(172) 2016/02/27(Sat) 16時半頃