[記憶喪失でスポーツをやる状況でなくなった俺の推薦は取り消され、
なんとか受かっていた第2志望の北洋高校へと通うことになった。
通う上での障害は特になかった。
過去が思い出せない、それ以外の点においては健常すぎるほどだったから。
同じ中学から進学した他の生徒もいたらしいが、それが誰かの判別はつかなかった。
――それから3年目の今。
つい先日、兄貴たちから齎されたニュースが、俺のひとつの岐路となった。
「卒業後に、最先端の脳手術を受けるために外国へ行く」
とりあえずの大学進学。そしてその後は、兄貴の協力を得て外国へ。
薦められたのは、目の飛び出るほどの金額を必要とする手術の話。
それが可能となったのは、野球選手である翔一郎兄貴が、自らの年俸をいくらでも出すと言ったから。
弟のために、試合で稼いだ金を躊躇わずに払ってくれる兄貴は、なんて素晴らしいのだろう。
記憶の無い俺にとっても、自慢の兄だったということは実感できる。]
(160) 2015/06/25(Thu) 00時頃