事件から2年の月日がたった頃、男がある政府要人の甥っ子であり、この事件に関して圧力がかけられていたことを知る。事実を知って公正な裁判を訴えるも相手にされず、虫を払うかのように追い払われた。しつこく何度も通っているうちに、警察に通報され連行されそうにもなった。
次第に、きな臭い雰囲気があたりに立ち込める。『裁判で裁くことができないならいっそ、殺すしかない。こんな奴らを生かしておくべきではない』と誰が言い始めたのだろうか。それだけ、進まない現実に追い詰められていたのかもしれない。また違う誰かが『bramble of orphan 』と口にする。造語ではあるが『茨の孤児』意味らしい。国に反逆し、仇をなそうとする孤児たちにはこれが相応しいだろうと自嘲気味に説明をされた。
その場にいた10人程度。その程度の人数でパルチザン組織『bramble of orphan 』は生まれた。
-回想終了-
(53) 2013/07/24(Wed) 00時頃