[かつてのセシルは、親なし兄弟なしのストリートチルドレン。住んでいた貧民街から食べ物を求めて仲間と路地を出た、あのときに。
ぽろん、ぽろん。
音がして、そこにあったのは黒と白の2色に彩られた鍵盤で。
「今なら誰もいない。お前、弾いてみろよ」
仲間に言われるがままに吸い寄せられるように座って、鍵盤を叩いた。
貴族の家の前、いつかの時に又聞きしていた、ベートーヴェンの「月光」。悲しくも綺麗なその曲が、なぜだか聴いただけなのに、自然と指が動く。叩いて確かめた音をなぞっていただけだった。
その時だろうか。急に後ろから拍手が響いた。驚いて後ろを向いた。仲間は逃げ出してしまった。汚い人間が勝手に楽器を弾いた。殴られる。覚悟して目をつぶる。
代わりに頭に与えられた撫でに手がびくつくのはその直後。
「あなたには才能がある。うちにおいで。音楽を教えてあげよう。」
かつてのマダムDに優しく撫でられ、腕を引かれ。思えばそれが、彼の転機だったのだろう。]
(19) 2016/07/26(Tue) 23時頃