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[ 慎一はふつうにベッドに寝ていた。
体を丸く縮こまらせて眠るのは癖。
ゆっくりと手足を伸ばして起きる。
物音は部屋の外からしてるみたい。
寝起きの足元はちょっと覚束ない。
閉じていたドアをふつうに開いた。
電気の消えてた部屋から顔を出し、
慎一は目の前に広がる光景に言う。]
ヨースケ、なっちゃん、
うるさい…………。
[ 互いの髪や服をひっつかんで、
取っ組み合ってたふたりがこっちを見る。
きょうだい4人の中で喧嘩が起きるのも、
喧嘩に混ざってないときの慎一が、
その声や物音に苦言を呈するのも、
この家族には珍しいことじゃないから、
何も驚くような顔することはないんだけど。]
[ いつもはこれでもかと言い返してくるのに、
ふたりはしげしげと慎一を見つめてから、
代表して弟のほうがこちらを指さしてきた。
「血ぃ出てるよ、そこ」……はて。
どこだろうかと指先を自分の肌に這わせれば、
首の正面あたりに違和感と、触れたときの痛み。
あわせて、理由なんてわからないし、
今の今まで気がつかなかったけれど、
ぽたぽたと涙がこぼれっぱなしだった。
弟も、妹も、それ以上なんにも言わない。
慎一がベッドでめそめそ泣いているなんて、
別に、珍しくもなんともないもんな。
慎一が黙って袖口で目元を拭っただけ。]
[ どうやらめそめそしてるうちに、
そのまんま寝落ちていたらしい。
それで……なんだっけ。
さらにごしごしと目元を拭いながら、
慎一は止まらない涙に途方に暮れる。
……ああ、そう。夢を見てた。
夢……? それで慎一は思い出す。
そりゃあ、涙も止まらないわけだった。*]
[ スマホを見て、九重からのメールを読んで、
慎一は今、自転車で病院に向かっている。]
[ スマホに目を通し切った時点で、
わたわたと目に見えた慌てて、
着の身着のままで飛び出そうとした慎一に、
弟は「兄ちゃん、とりあえず顔洗え」って、
ぐいぐい洗面所のほうに背中を押して、
妹はでかい声で「おかあさーん」って言った。
なんか大変っぽい。
いや、お兄ちゃんじゃなくて。
お兄ちゃんはいつものやつ。]
[ ……うん。いつものやつなので、
事情を知った両親からは、
割とスムーズに病院に行く許可が下りた。
なんかあったら連絡しなさい。
あと、自転車のライトはちゃんとつけること。
二点、玄関先で念押しした母の後ろから、
心配性の父がウィンドブレーカーを差し出した。
ほら、暗闇でちょっと光るタイプのアレ。
…………ダサ。
つぶやいたのは慎一じゃなくて弟の片割れ。
それどころじゃない慎一は、
素直にコートの上からそれを羽織って家を出る。]
[ 夜道。ペダルを踏みこみながら、
慎一はあの握りしめられた左の袖口を思う。
「慣れちゃった」って言ったあの口ぶり。
床に散らばったカッターナイフ。その替え刃。
「痛くない?」って聞いたとき。
「試してみる?」なんて保健室で言ったとき。
いくらでも点と点をつなぐ瞬間はあったのに、
たぶん、慎一は見ないフリをしていた。
自分のことで手一杯だから。
人のものまで抱え込んじゃったら、
きっと、もっと息がしづらくなるから。
……「むなしい」ってこういうことかなあ。
それとも、これは「くやしい」なのかなあ。]
[ 慎一の言葉でいうなら、悲しかった。*]
── 現在・病院 ──
[ どうにかその場所を教えてもらって、
慎一は治療室のベンチの前までやってくる。
黒沢の家族と思しき女の人に、
ひょこりと会釈だけをして、
まっすぐ九重と番代のほうに向かった。
……挨拶するべきかもしれないけれど、
生来引っ込み思案なほうなのだ。
何と声をかければいいかもわからないし。
だからその人に背を向けるように立って、
病院でも怒られないくらいの声量で声をかける。]
……九重、メールありがと。
番代も来てたんだ。それで……えーと、
[ ちらっと集中治療室のほうを見る。
人が出てくるような気配はない。
重たい空気感にほうっと息を吐いて、
それで、ほんのつぶやきのように言う。]
……黒沢だったんだな。
[ メールの送り主の話。
あの校舎で見たのとおなじものが、
現実世界にもあったこと。
答え合わせみたいだなあ。とは、
さすがに口には出せなかったけれど。*]
メモを貼った。
[重い空気で満たされ、張り詰めた病院の廊下は、
誰かが来ればその気配がすぐに分かる。
帰れたんだね、と思いながら向井くんに手を振った。]
おかえり。
いろいろあったけど、帰れたね。
[いろいろ、に含まれるニュアンスには、
探していた出口は結局見つからなかったとか、
出る時に痛みと苦しみを伴ったこととか、
そのへんのことを思い起こしたものが混ざっているけど。
私はようやく外の空気が吸えて、背筋を冷や汗が伝うこともなく、
やっぱりこっちのほうがいいや、と思えているところです。]
乃絵ちゃんだった。
私、全然わかんなかった。
[
彼も知らなかったらしい反応だったから。]
あの校舎を作り上げた人物の気持ちを200文字以内で答えなさい、って。
入試問題だったら、落ちてたかなぁ私。
[現代文は苦手じゃなかったはずなのにね。
答え合わせだったとしても、合わせるべき正答も知らない。
何かできることはあったのかって、ただただ後悔だけが降り積もっているし、
それでも尚、知ったところで人の重荷を背負えたつもりはない。
ただ身勝手に、夜のお菓子パーティの続きでもしたいねって思ってる。**]
── 現在・病院 ──
……ただいま。
いろいろ……うん、いろいろ。
外の空気、やっと吸えたな。
[ 最後の一文に関しては「よかったね」って、
そういうニュアンスだったんだけれど、
隣の九重にはなんのこっちゃわからないだろう。
まあいい。九重もそんなことは言わない。
そこまで口数の多いタイプではないし、
口を開けばよくわからないオカルト話の、
ちょっと不思議な女子……と思ってたけど、
精神世界について教えてくれたのも、
さっきのメールも、意外と面倒見いいんだなって、
慎一は静かに印象をアップデートしたところ。]
……九重も、番代も、
すごいことなってたから、焦った。
[ いろいろの断片を持ち出しながら、
慎一はあの校舎でのことを振り返る。
どちらも先に見つけた誰かが、
親切に張り紙をしてくれていたから、
「焦った」くらいで済んだ。感謝してる。
それで……世界の持ち主についての件、
「わかんなかった」って番代は言う。
……うん。
でも、誰かに、
気づいてほしかったのかなって。
あの、いろいろさ。
[ 校舎に散らばったカッターナイフ。
誰かにとってはため息さえも、
手がかりになっていたとは知らないけど。
さすがに、後になって結び付けた点と点を、
勝手に人前で繋げてみせることはしないが、
でも、そういうことだったのかもしれない。
あの校舎が純粋に文化祭じゃなかった意味。]
で、問2。
それが誰かを答えなさい。って?
そんな問題が出たら、俺、
白紙で出して落ちたんだろうなあ。
……誰か合格してくれればいいんだけど。
[ 番代から出てきたたとえ話。
慎一は現代文も苦手だし、
200文字書いてる間に気が滅入る。
冗談めいた形で語ってみたって、
目の前の現実は何ひとつ変わらない。]
[ 夜のお菓子パーティー。女の子の秘密。
あの状況下で開かれていたと知ったら、
女子って強いなあって思っただろうが、
男の子の慎一がそれを知ることはない。
とにかく、慎一はもう現実にいて、
いつもどおりではない悲しい出来事が、
動くこともなく目の前に横たわっている。
だから、ベンチには腰掛けないままも、
その隣に立ってぼんやりと、
上着のファスナーを指先でなぞってた。*]
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(167) 2021/06/12(Sat) 19時半頃 |
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[
あはは、と苦々しく笑って見せようとしたけど、
上手くできたかはわからない。
利美ちゃんがすごいことになっていたのは直視したから、
残された私のマネキンも、言葉の通りすごいことになってたのだろう。]
そうだね。
ヒントは出してくれていたから、
私たち、答えなきゃいけなかったのかなって。
答えられなかったから落第して、
現実に帰された、とか。
[あのカッターナイフの大盛りだったり、
遺書のメールだったり、それらはヒントと言えばヒントだった。
そこから答えに辿り着こうとする心の余裕すら無かったから、
おそらくそれがダメだったのかもしれない。
答案用紙を白紙で戻した罰として、
私たちは校舎の出来事のその先を見ることを叶わず、
追い出されてしまったのかもしれない、なんて想像をする。]
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