10 冷たい校舎村9
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[ いくつ季節が巡っても、 食べて食べて食べて笑える、 そんなふたりでいられたならうれしい。
だから、ある夏の日、>>1064 送られてきた写真で相変わらず、 かわいい猫がブレブレだったとしても、 慎一は目を細めてそれを眺めたよ。
『当たった?』って返して、 その日気まぐれに慎一もアイスを買った。
……で、アタリだったかって? 今度会うときに持っていくからね。
それとももうおまじないやジンクスの類、 君の人生には必要なくなっちゃったかな。]
(1096) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 慎一は今も左足から靴を履く。*]
(1097) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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(1098) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ かんぺきな一日なんてほとんどないまま、 日常はたやすくせわしなく形を変えてく。
みんな≠ヘみんな≠フままであると、 慎一は根拠もなく信じてた節があるけど、 その中にも、形を変えた関係があるなら、
それを知るとき慎一は目を丸くして驚き、 それから、「よかったね」って言うはず。 心の底から、嘘偽りのない笑みとともに。]
(1099) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 不変のものなどきっと存在しないので、 慎一もみんなと同じ頃に大学生になる。
マクロだかミクロだか知らないけれど、 案外講義に数字が出てこなくて悲しい。
とはいえお金を管理する立場になると、 テンパって犯罪者になりかねないので、 なりたい職業はいまだなお白紙のまま。
それでも時間は平等に進んでいくのだ。 新歓の人混みにすたこら踵を返したり、 ライブハウスに響く音に怖気づいたり。
引き続き些事にひどく消耗しながらも、 慎一は、面白おかしく毎日を生きてる。]
(1100) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ だからこれは、語り切れない日常の一片。]
(1101) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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── 後日譚 ──
[ その四角い箱の中は騒々しかった。
うるさいなあって慎一は思うけれど、 ハッピーでご機嫌な大学生活には、 未成年飲酒と乱痴気騒ぎでできた、 こういう場も欠かせないって聞いた。
実際、楽しくないわけじゃなかったんだ。 半透明のピッチャーをなみなみと満たす、 生温いビールが各テーブルに置かれたときは、 さすがにちょっとびっくりしちゃったけれど。
当然のように渡されたグラスを受け入れた。 慎一はこういうとき、流れにあらがわない。
さすがに未成年飲酒をえらいとは思わないが、 今日も周囲の感覚に迎合する努力をしてる。]
(1102) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 基礎演習のクラスで知り合ったやつと、 バスケやってたんだって話になって、 じゃあサークルに入ろうってなったのだ。
豊高のバスケ部は弱小だったし、 あんまり上手じゃないよって言った慎一に、 「うまいやつは体育会入るっしょ」って、 へらへら笑ったそいつと来たはずだった。
あるいは、基礎演習クラスの親睦会で、 各クラスにつくメンターの先輩が、 この場を取り仕切ってくれてるんだっけ。
いけない。事実関係まで混線してきたな。 けどまあ、そういうありきたりな場だ。 慎一はここでも多数派を真似して生きてる。 それなりに交友関係を広げて、日々愉快に。]
(1103) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ ところでみんなはもう酔っぱらったりした? みんなも自分の限界を越えてお酒を飲んだら、 少しは慎一の視界を感じてもらえるかもしれない。
部屋の中を動き回る人たちのカラフルな服が、 あっちこっちで混ざってぐちゃぐちゃしている。 カメラのズームボタンを間違って操作したみたく、 視界の遠近感覚がおかしくなっているのは、 おそらくお酒のせいだったけれど。
前後左右の声や物音が全部ごっちゃになって、 ボリュームの調節機能がバカになったみたいに、 変に大きく聞こえたり小さく響いたりする。 急にすべての音がこもって聞こえたりね。
みんながみんなお酒を飲んだらそうなるのか。 そんなこと知らないけど、とにかく、 視界がいつもよりひどい。酔っぱらっていた。]
(1104) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 隣にいたはずのやつは気づけばいなくて、 慎一はぼうっと座敷に座っていた。
突然、「シン」って呼ばれる。 ここにも慎一をそう呼ぶ人はいる。 向井とも呼ばれるし、向井くんとも。 どれをとっても慎一のことだった。
それから、目の前にグラスが置かれた。 透明な液体がその中を満たしている。
「酔ってる?」って聞かれてうなずいて、 「飲めば?」って言われてグラスを取った。
何の疑いもなくそれに口をつければ、 無味無臭を予測したのとは裏腹に、 喉を焼くような刺激とひたすら苦い味がする。]
(1105) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 酒だった。 噴き出す寸前でそれを飲み込んでから、 せき込みえずいている慎一に、 そいつは「気づかないかあ」って言った。 それから「酔ってるね」としみじみと。
それが悲しくてというよりは、 せき込んだせいで涙がにじんだ。
グラスがひょいと取り上げられる。 そいつはぐいと中身を飲んでから、 慎一の視線に気づいたようにこっちを見た。]
(1106) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 明るい髪の色をしていた。 長く鬱陶しそうな前髪の下で、 一瞬、目を三日月みたく細めてみせた。
くりくりとした形の目のせいか、 鴉みたいに深い色の瞳のせいか、 その視線はなんだか妙に力強い。
やたらと瞳の印象が強いが、 正面から見ると整った顔をしている。 少しやせすぎなくらいの頬を緩め、 静かに、穏やかな笑みを浮かべていた。
場の熱気と酔いが回ったせいで、 薄着になっていく人間たちの中で、 長袖を捲りもせずにきちんと着ている。]
(1107) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ ……たぶん、そのせい。 慎一はそのときなんだかふいに、 「帰りたいなあ」って思って、
それに被せるようにそいつが、 「帰る?」って尋ねてくるから、 慎一は余計に帰りたくなっちゃった。
でも、こいつのことよく知らないな。 一緒に来たんでもない気がするな。誰だっけ。 名前の字面は覚えられても顔覚えは悪いんだ。 慎一の家、大学から結構遠いんだよなあ……。
「どこに?」薄ら笑いの伝染った慎一に、 「どこでも」いい加減なこと言うせいだ。
その瞬間、慎一の頭の中まで、 カラフルで賑やかでめちゃくちゃになっちゃう。]
(1108) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ たとえば、真っ白な雪道。 それを背景に佇んで、 なぜか眼鏡を大切に持つ人。
クレープ。パンケーキ。 生ぬるくなったコーラ。 ひしゃげてしまった菓子パン。 ピンク色のフーセンガム。
打ち上げに添えられた黒板の整った文字。 右斜め上を向くチャートと手作りスイッチ。 放課後の美術室、ホラーな試作品と屋台装飾。 薄っすらとした手首の傷。踵のバンソーコー。
揺れる黒色のしっぽを目で追いかけたり、 誰かの世話する鉢植えを静かに眺めたり。 冷蔵庫に並んだチューハイ缶を無視して、 人の家でオレンジジュースを啜る夜。]
(1109) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ いろんな光景や、みんなの声や、 そのとき鼻の奥を通り抜けたにおいさえ、 嵐のように頭の中を通りすぎてって、 慎一はどういうわけだか泣きそうだった。
気分が悪いのはお酒のせいで、 この場があんまりうるさいのは辛いけど、 思い出して泣きそうってなんなんだろうな。
お酒で余計に涙もろくなるなんて知らないし。 それなのに慎一は少し笑ってもいるんだ。 いったいなんだっていうんだろう。いや……、]
(1110) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 慎一にはあの日々が愛しかったし、 今、無性に恋しくて仕方なかった。]
(1111) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ ──…………、]
(1112) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 「わ」と誰かが言った。そいつだった。 次の瞬間、さわり心地の悪い湿った布が、 慎一の顔面にぎゅうっと押し付けられている。
「鼻血」って言われなくたって、 生あたたかい感触で慎一は気がついたし、
たとえ「気分は?」って聞かれなくても、 「……最悪だ」ってつぶやいていたと思う。
「そういうこともあるよね」って、 そいつはぼんやりとした視界の中で笑った。 うん。あんまり気分が最悪すぎるから、 慎一も泣き笑いだよ。そういうこともある。]
(1113) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 今日もまたかんぺきな一日じゃなかった。
右から2番目の改札を通って、 4両目の真ん中の扉から電車に乗っても。 さっきお手洗いに立ったときだって、 左右を慎重に確認して靴を履いたのに。
賑やかな場に来るのは少し億劫で、 来てみたら楽しかったはずなのに、 結局、慎一はまたぐったりしてる。
慎一の人生はそういうことの繰り返し。 特別なことはなにも起きない。 きっと、そんなに特別な話でもない。]
(1114) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 休んでるように言われて、 壁にもたれて蛍光灯を見てたんだけど、 慎一はふいに立ち上がって、 静まる気配のない喧騒の中を横切ってく。
会費は事前徴収制だった。 というか一年生はほとんど取られなかった。 だから大丈夫。慎一はもう帰る。それだけ。
左足からくたびれたスニーカーを履く。 後生大事におしぼりを握っていたが、 気づいたら鼻血はもう止まっていた。
ガンガン痛む頭をおさえながら、 慎一はその箱の中をひとりで抜け出す。]
(1115) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 慎一の知った話じゃないが、 今、箱の中では派手な頭をした奴が、 今度こそ水の入ったグラスを片手に、 誰もいない壁際を不思議そうに見ている。 数秒経って、そいつも騒ぎの中を横切ってく。]
(1116) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ だから、たぶん。 そんなに難しい話じゃないんだ。
疲れるよ。 生きるのは疲れる。 情報量が多すぎる。 見たくもないものとか、 聞きたくもない音とか、 知りたくもない情報が、 いつも慎一をぐちゃぐちゃにしてく。
でもたぶん、おぼれかけたときに、 誰かの腕に捕まって息継ぎすることもできて、
そうすればきっと、慎一だって、 この立派な二本の腕でハグしてやれる。 自分以外の誰かを、めいっぱいの力で。]
(1117) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ ……思い出した。急に。 なりたかったものの話。 子どもの頃の作文の話。
同級生たちがなりたい職業や、 どんな大人になりたいかを綴る中で、 慎一は「魚」って書いたんだった。
でも、18歳の慎一は人間になりたい。 立派な二本の腕を持った人間にね。
これも成長って呼んでいいのかなあ。 我ながらゆっくりすぎてヤになっちゃうけど。
でもまあ、えらいよね。慎一もみんなも。 がんばっててえらいよ。生きてて今日もえらい。]
(1118) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ つまり──、 心配無用さ、くろねこ氏。>>718
日常は形を変えてくから、 新たな居場所を作るのには、 ちょいとばかり時間がかかるけど、
そういうときは踵を返して、 「ただいま」を言うアテもあるから。 きっと十人十色の声音で、 「おかえり」が聞けるって信じてる。]
(1119) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ 初夏を感じさせる風が心地よかった。
まだまだ夜はこれからって時間で、 人通りもある道を慎一は抜けてく。
お酒のせいで頭が重くて、苦しくて、 水面から顔を出すみたいに上を向いたら、 夜空にぽっかりときれいな月が浮かんでた。
あの冷たい校舎では白に隠れてた月だ。 帰ってきたあの日の夜空はどうだっけ。
とにかく、きれいだなあって慎一は思って、 そう、月がきれいで、みんなのことを思った。]
(1120) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ パシャリ、と一枚。 スマホのノーマルカメラで撮った空には、 月も星もほとんど輝いては見えないけど。]
(1121) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ グループチャットに、 不鮮明でブレた夜空の写真が一枚。
それから、なぜかとぼけた顔のヤギが、 「ただいま!」って両手を広げている。
きっと意味なんてわからないだろうけど、 よかったら気まぐれに空を仰いでみてね。
慎一はちょっと今日の夜空に詳しいんだけど、 このあたりは雲ひとつなく月がきれいです。
like≠ニlove≠フ判別はつけがたいが、 あんね、慎一はみんなのことが好きだよ。とても。]
(1122) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ ただいま≠言えるこの居場所だけは、 ずっと変わらないって信じてもいいかなあ。 慎一がもう少し大人になるまでだけでも。ね。]
(1123) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ ……ただでさえ酔っぱらってるのに、 歩きスマホなんてするもんじゃない。
小さな段差に足を取られかけて、 慎一は派手によろめきながらも、 すんでのところで強く地面を踏みしめた。
危ない。ビビッてドキドキしちゃうけど、 足も立派なのが二本ついててよかった。 バカみたいでちょっと笑えもするけれど。
ひとりでへらへら笑っていた慎一を、 追いかけてくる派手頭がひとつあって、 慎一は酔った頭で「ヘーキ」と言うけど、 まあ実際、あんまりヘーキじゃないので。
きっと明日、礼と謝罪を込めて昼食を奢る。 それで、やっとそいつの顔と名前を覚えて、]
(1124) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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[ そして明日も、明後日も、その先も。 かんぺきでない日をゲラゲラと笑おう。**]
(1125) nabe 2021/06/21(Mon) 22時半頃
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