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―― げんじつせかい ――
[ 目を開けたら、私の部屋だった。
机の上に広げられた塾の宿題を枕にして、
私は眠ってたみたい。
なあんだ。やっぱり夢だったんだ。
あまりにも生々しかったから、
夢じゃないって信じちゃってた。
でも、目が覚めてみれば、
夢以外の何物でもない ]
[ こんな格好で寝たら肩が凝っちゃう。
私は思いっきり伸びをして、
あ、今何時かなってスマホに手を伸ばした。
スマホに表示されるのは、
現在時刻とメールのお知らせがいくつも。
メール来てたんだ。気づかないくらい寝ちゃってたのね。
なにかなって、私はタップして―――― ]
[ そのまま、スマホを落とした ]
[ ごとんっていう音にはっとして、慌てて拾い上げる。
信じられない気持ちで、もう一度見返した。
何度読み返しても結果は変わらない。
夢の中で届いたメールと同じ。
ただひとつ違うのは、送信者名がバグっていないこと。
遺書にしか思えないメールの送信者は、、ヒナだった ]
あれは、ただの夢でしょ?
[ そう思った。そのはずだった。
でも、夢で見たのと一字一句同じメールが届くなんて、
そんなことある?
それとも今いるここも夢の続き?
夢なら早く覚めてほしい ]
[ そういえば、届いてたメールは1通じゃなかった。
他のメールも確認しないと。
担任のたつみ先生から、メールが来てた。
ヒナが病院に救急搬送されたって。
病院の住所と名前が書いてある。
最寄りの救急病院だった。
残りのメールはメアから。
「誰か帰ってきた?」
「まだ?」
「私、病院に行くね」
「病院についたよ」
そんな一言だけのメールがたくさん届いてた ]
[ ねえ、「帰ってきた?」って何。
それって、まるで、まるで、
あの夢が、夢じゃなかったみたい。
私、帰ってきたの?
私、精神世界にいた?
ヒナの精神世界にいたの? ]
とりあえず、病院に行かなくちゃ。
[ 行ってどうこうなるものじゃないけど、
でも、家でじっとしてるなんて、
そんなこととてもできなかった。
私は、あの世界にいた9人と、
たつみ先生にメールを送る ]
『今から病院に向かいます』
[ 立ち上がって、部屋着なことに気づいた。
クローゼットを開けて、少し考えて、
私はミモレ丈のゆるふわスカート
形に残る、文化祭の思い出の品。ヒナの作品。
普段着にするには少し甘すぎるけど、
冬に着るには少し薄すぎるけど、
着れないこともない。
地味目の上着を持ってきて、
分厚いタイツを履けばきっと大丈夫。
今日は大雪じゃないし ]
[ 部屋を出ると、廊下で妹にばったり会った。
妹はあの日から、私と顔を合わせると、
申し訳なさそうな顔をする。
そのくせ、口元は笑ってるの。変な顔。
この子が何を考えてるのか、
やっぱり私にはさっぱりわからない。
でも、もしも普通は相手の気持ちがわかるものなら、
この子に私の気持ちがわかるとしたら、
人間的に問題があるのは私よりもこの子が上だと思う。
私のプライドが傷つくと承知の上で
やったってことでしょ?
それって相当性格悪いわよね? ]
[ でも、本当にわからないの。
理解できないし、変わってると思う ]
桃香って変な子よね。
[ そう言ったら、妹の眉が奇妙に歪んだ ]
昔から、私のお下がりは嫌だって、
散々駄々をこねて
新しいものを買ってもらってたじゃない。
でも、彼氏は私のお古がいいのね。
[ 矛盾してると思う。理解できない。
心底不思議でそう言ったら、
何か喚きだしたけど興味がなかった。
うっかり相手をしちゃったけど、
私、今はそれどころじゃないの。
喚いてる妹は放置して、私は両親の部屋に向かう ]
[ ノックをして顔を覗かせたら、
母は寝てたけど父はまだ起きてた ]
先生からメールが来て、
友達が病院に救急搬送されたって。
私、行ってくるね。
[ 私がそう言ったら、父は読んでいた本を閉じた。
眼鏡を外してベッドから降りる ]
お父さん?
[ 首を傾げたら、もう遅い時間で危ないから、
車で送ってくれるって。
玄関で待っていなさいって言われて、私は素直に頷いた ]
ありがとう、お父さん。**
メモを貼った。
[ 父の運転で、病院に向かう。
助手席に座って、私はまっすぐ前を見てた。
私、どうして病院に向かってるのかな。
そんなことを考える。
家でじっとしてなんていられなかった。
行かなくちゃって理由もなく思った。
でも、でも、ね、
メアの話が正しければ、あの精神世界を閉じるために、
誰か一人残らなくちゃいけない。
だとしたら……ヒナは、助からない。
きっと今頃、ヒナの治療にあたってるお医者さんたちは
ヒナを助けるために力を尽くしているのに。
ヒナは、多分、助からない。
そのことを、私は知ってる ]
[ そして、もし、もしも、ヒナが助かったとしたら、
その時は、別の誰かがあの世界に残ることになる。
誰かが、ヒナの代わりに命を落とす。
私、何を祈ったらいいんだろう。
みんなで帰ってはこれないって知ってても、
みんな帰ってきますようにって願うの?
そんな、決して叶わないお願いごとに意味ある?
でも私、
私が残るから、みんなは帰っていいよとは言えなかった。
一人残って、あの世界を閉じる役目を引き受けてもいい。
そんな風には思えなかった。今も思えない。
帰ってこられてよかったって思ってる ]
……お父さん。
[ 口数の少ない父は、黙って運転してくれてる。
真っすぐ、暗い道の先を見つめたまま、
私は父に話しかけた ]
私、自分のこと、なんでも持ってるって思ってた。
何も欠けたところがない勝ち組だって。
でも、私、大事なところが欠けてる。
そのことにやっと気づいた。
[ 多分、自分に欠けたところなんかなくて、
自分のことを勝ち組だって思ってた。
それこそが、私の欠陥だった ]
[ 出来のいい姉と出来の悪い妹。
両親のいいところを全部もらった私と、残りかすの妹。
そんな風に本気で思ってた。
でも違った。
私は、普通の人が当たり前にできることが、
どうやらできないらしい。
私は欠陥品で、
プライドなんか粉々に砕けて、
それでも、
あの世界にたった一人で残ろうとは思えなかった。
だからきっと、
こんな感じでこれからも生きていくんだと思う。
人の気持ちをわからないまま。
空気を読めないまま。
無神経って言われても ]
ごめんね、こんな娘で。
私、自分のこと、出来のいい人間だと思ってたのに。
[ 自嘲の笑みを浮かべた私に、
思いがけない父の言葉が降ってきた ]
「お父さんな、会社で、
トンビが鷹を生んだなって言われてるんだぞ」
[ 思わず、え、と聞き返して、思い当たる。
私の家庭教師の生徒は、父の同僚の娘さんだった。
私が家庭教師になってから成績が上がったって、
ご両親にも喜ばれてたんだった ]
「でも、そんなことは関係なく、
お前は、父さんと母さんの大事な子供だ」
[ 「そんなことは関係なく」
その言葉に、思わず目を見開いてしまう。
言葉を探すように、父は少したどたどしい口調で、
「桃香は」と言う。
なんでもよくできた私に比べて、
出来がいいとは言えない妹。
姉へのコンプレックスで潰れてしまわないように、
両親は二人とも大事に思っていることが伝わるように、
気を遣っていたつもりが、
甘やかしすぎて増長させてしまった。
父はそんなことを言った ]
[ 甘えて、甘やかされて、すべてを許されていた妹。
私はあんな風にはなりたくなくて、
ひたすら上を目指してた。
私、もしかしたら、そうしたら愛されるって思ってた?
甘えられない代わりに出来のいい娘でいることで、
両親の自慢の娘でいようと思った?
わからない。
人の気持ちがわからない私は、
自分の気持ちすらよくわかってなかったみたい ]
……お父さんとお母さんは、
私の自慢の、大事なお父さんとお母さんよ。
[ 病院に到着した。
父は夜間出入口の前に車を停めてくれる。
迎えに来るから連絡しなさい、と言われて頷いた ]
ありがとう。行ってきます。*
[ 目の前は真っ白。 ]
[ 操縦士の指示通りに動く、
ただただ海を征く船でありたかった。 ]
[ 残念だね。
志帆は人間だし、こころもあるし、
時には指示に逆らいたくなることだってあるんだよね。
澱のように、黒い気持ちが溜まった結果なのよね。 ]
『理帆ちゃんはいいなぁ!』
[ 言いたくても言えなかったんだもん。
だけど、言える立場じゃないのはわかってる。
言えないよ、理帆ちゃんには。 ]
──現実世界──
[ ジェットコースターから飛び降りたみたい。
心臓がばくばくしてる。 ]
ぇ……、
いま、の、なに?
[ ねえ、なんなの。
暗闇の中、枕元を探して携帯を立ち上げる。
光がとても眩しくて、目を細めた。
日付と時間を確かめていたら、不意に目に入ったの。
手首に不自然な線のようなもの。 ]
[ 携帯からの光じゃ全然足りないから
リモコンを探り当てて照明のスイッチオン。
……蚯蚓脹れ。
パジャマを捲ったり覗いたりしてみれば、
至る所が赤く盛り上がっている。
精神世界でナイフをあてたところと見事一致です。 ]
帰ってきたの?
[ それとも追い出された? わからない。
目を丸くして考えてみるけど、なんもわかんない。 ]
[ 呆然として、携帯に再び手を伸ばせば、
メールの通知に気がついた。
古い順から一通目。琴子。
二通目、担任。三、四、五……通目、めあり。
めありで通知がいっぱいになってたから、
めありのから開こうね。
……めありぃ。今帰ってきたっぽいよ。
[ めあり本人に届くはずのない答えを零して、
メールをひとつひとつ検分していく。 ]
ことめろ、どうして?
[ ねえ、どうしてよ。教えてよ。 ]
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