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[それからのカコは、ジャーディンが早くこの家に
根を張れるようにと、何くれとなく心を砕いた。
共に働く通いの使用人と、住み込みの使用人。
彼らの顔と名前を一致させるだけでも
時間はかかったことだろう。
一方でカコは、時折気侭に振る舞いもした。
如何に己を律しようと、カコの性根は、
蝶よ花よと傅かれてきた奔放な一人娘だ。
ジャーディンが本気で嫌がりはしないようなら、
必要以上に気を回すのは、お互いを疲れさせるだけだと
止めにした所為もある。]
[疲れた折には、ソファの上でジャーディンの膝を求め、
髪を撫でるようにと強請った。彼の膝は柔らかくは
なかったが、カコは満足そうだった。
天気の良い日には、庭を見渡せるパーラーに、
紅茶のカップと仕事片手に引き籠もる事もある。
疲れが溜まれば、カモミールティーを啜りながら、
庭仕事をするジャーディンを視界に収める。
それは、カコにとって憩いの一時となった。
春の庭先で、花木の間に憩うジャーディンの姿は、
何時か見た夢に似ていた。
[その日は、暖かい日だったから。
カコは東屋のガーデンソファに寝そべり、
庭園で一人作業を終えたジャーディンを
呼び寄せ、戯れにまた膝を求めた。]
……こうするの、慣れないでしょうね?
慣れて。
[彼の顔を見上げて、カコはあっさりと言い放つ。
使用人達が見れば誤解されかねない光景だが、
愛妾の一人や二人囲うのは当たり前のご時世だ。
どうということもない。
それ故、特に誤解を解いて回ることもしなかった。
『お嬢様は最近表情が柔らかくなられた』というのは、
幼少の頃から仕える使用人達の囁くところだ。]
[小さく欠伸を漏らして、カコはすっと手を伸ばし、
金色の毛先を弄ぶ。
こちらを見下ろす紅い瞳。
貴方の髪、陽に透けてる。
瞳も、陽の下だと紅く見えるのね。…綺麗。
パルテールで見た、暗褐色も好きだったけど。
[白い頬に指先を滑り落として囁くと、
柔らかく目を閉じた。
それはジャーディンを自邸に引き取って以来、
カコが初めて彼の肌に触れた、何気ない一瞬だった。
そうして、目まぐるしくも穏やかに、
日々は過ぎていった。]**
[やがて、慶ばしき日が訪れた。
フェルゼ=リュミエルと、伴侶となる人との
婚儀の当日。
自邸にてメイドと共に、ジャーディンを礼服で
着飾らせるカコの姿があった。]
これはね、場にふさわしいように着飾るの。
こういうのは、お芝居と同じ…、
ああ、お芝居にもそのうち、付き合って頂戴。
芝居に集中している耳元で、気障な愛を
囁きかねない男より、幕間に気取らない
感想を聞かせてくれそうな貴方の方が、
連れとしてはよっぽど上等よ。
[気障は構わないとしても、せめて時と場所は
選んで欲しいというのがカコの持論だ。]
[シャツにベスト、フロックコートで装うジャーディン。
彼の首元を飾るタイは、手ずから締めながら]
背筋を伸ばして、顎は少し引いて…、
堂々と、視線を遠くに置いて。
ダーラが仕込んだだけあって、
貴方の所作は、元々美しいのだから。
[ドレスからアクセサリーまで品よく整えたカコは、
少し身体を引いて、今日の連れの立ち姿を、
頭頂から足先まで検分する。]
[見込み通り、正装姿のジャーディンは、
贔屓目抜きでも美しかった。
その仕上がりに、カコは満足げに頷く。]
うん。いいわね、とても。
貴方の価値がわからない人間に、
わざわざ侮る隙を与えてやることなんかない。
自分の値は高くつけるものよ。
貴方、私の私物としては一番高い買い物だったもの。
[カコが叩く軽口にも、徐々にジャーディンは
慣れてきただろうか?]
[結婚指輪をリュミエル邸に届けた際にも、彼を伴った。
フェルゼは、カコの様子に何か感じるものがあったのか、
結婚式には、是非彼も一緒にと言ってくれていた。]
そういえば…、花嫁はおそらく、
貴方の元同僚よ。
フェルゼ様は、他に心に決めた人がいるのに、
娼館に通うようにはとても見えないから。
そういう方だから、あまり恐縮することはないわ。
[直にわかる事だからと、主役の一人の身元を明かす。
あの後パルテールで、フェルゼの姿を見かける
ことはなかった。彼にいつも侍っていたドールの姿も。
それも、ジャーディンを帯同すると決めた理由の一つだ。
三つ目の理由は、単純に。こんな機会でもなければ、
彼を盛大に着飾ることもそうないだろうから。]**
照れ隠し……?
[何に照れたというのか、なぜそれを隠すのか。
そして彼女はなぜむくれたのか。
ジャーディンがその辺りの機微を
自分の事として理解するようになるには
時間がかかるだろう。
今はただ「人は本心を隠したいことがある」と
学ぶのみに留まった]
[彼女には礼を言われたが
ジャーディンはその言葉に何も返せなかった。
この家に来てよかったのかどうか
今はまだ答えが出せていなかったからだ。
良い扱いを受けているとは思う。
が、このように扱われる価値が自分にあるのか。
自分に何か返せるのか。
不安に苛まれながら素焼きのマグに口をつけると
ホットミルクの素朴な味わいが喉を温めた]*
[住み込みの使用人は、顔を合わせる機会が多いのと
そう数がいないこともあってすぐに覚えられたが、
通いの使用人たちを覚えるのには手間取った。
奴隷の一人が主人にやたらと気遣われているのでは
周りから奇妙な目で見られやしないか、と
ジャーディンは常々不安に駆られた。
彼女の表情が柔らかくなったという噂を
年輩の使用人たちから聞いたが
ジャーディンからすると出会ったばかりの頃との差は
あまり感じ取れなかっただろう]
[彼女がジャーディンの庭仕事を時々見ていると
ジャーディンは聞かされるまで気付くまい。
彼女の元で暮らすうち、やせ細っていた膝も
いくらかは肉付きがよくなるだろう。
庭仕事を終えた後に東屋で、彼女に膝を貸す。
初めて彼女に膝を求められたときは少々戸惑ったが、
それが主人の望みなら叶えないわけにはいかない。
それに]
いえ……、僕はこういう触れ合いのほうが
言葉を交わすだけよりは慣れています。
[パルテールで膝枕を求めた客はいなかったが、
抱き締めていてほしいと言われるようなものである]
[東屋は日陰だろうが、
パルテール店内よりはよほど明るい。
そのせいだろうか。彼女に瞳の色を言われた。
ジャーディンは驚いて、彼女をしげしげ見つめた]
気味が悪いと言われることもあるんです。
気に入っていただけて安心しました……。
[ジャーディンはこの瞳を好む者を知らない。
かつての主人のひとりは、暗がりで見たときには
気付かなかったジャーディンの瞳の色に気付いて
忌まわしいと言って売り払った]
[頬を撫でていった彼女の指先は滑らかで
触れられたことを気負う隙も与えなかった。
彼女の元で過ごす日々は、
忙しくはあるし新しい経験ばかりで目まぐるしいが、
周りの者たちに人間として扱われる日々でもあった。
周りの者たちに暴力を振るわれることも、
慰み者にされることもない。
初めのうちはそれが慣れず、落ち着かずにいたが
慣れてくればこれほど心地よい環境に
身を置いたことはなかった。
佳い主人に恵まれたと、今なら言えよう]*
[やがて慶事に招かれ、
否応なく主人に飾り立てられることになって、
ジャーディンは戸惑いつつもされるがままになった]
お芝居、とは、どういったものですか……?
[演劇なるものも、それを観るという行為も
ジャーディンは知らずに育ってきた。
場に相応しい服装という概念も理解していない。
今はただ主人に従っているだけだ]
[所作が美しいと言われ、目を瞬く。
言われてみれば、確かにダーラに買われた後
しばらくは訓練を受けたのを思い出す。
相手は貴族や富豪なのだから、と
パルテールで接客するにあたって必要最低限の礼節を
叩き込まれたのだ。
外の世界でどれだけ通用するものかはわからないが、
あの頃を思い出せばいいのかもしれない、と
カコの指示を聞きながら姿勢を正した。
タイを主人に締めてもらうとはとんでもない無礼だが
主人が望んだ行動なのだからやむをえない]
僕に、そんなに価値があるのですか……?
[ジャーディンは未だに自分自身の価値なるものを
あまり理解していなかった。
だがあまり遜っても彼女の見る目を
貶めることになってしまう。
彼女の気に入りの存在だというのならば
堂々とするのが彼女のためでもあるのだろう]
[花嫁を元同僚と聞かされると目を見開く。
そんなことがあるものなのか。
パルテールの客がドールを娶るなどと。
フェルゼのことは店内で何度か見かけたし
彼のお気に入りのドールも記憶にある。
そのドールが少なくとも身体は男性であることは、
同時期に働いていたドールなら知っている。
しかしまさか婚礼を挙げようとは。
そういう状況で花嫁の身分や性別を
積極的に明かすわけにはいかないだろう、と
ジャーディンは己の身分を含めて隠す心算を固めた]
[ジャーディンは式場で見知った顔を見かけても
自分から声をかけることはなかった。
あくまで主人に連れられて来た従者の立場である。
主人を差し置いて私語など交わすものではない、と
ジャーディンは思うからだ。
だが向こうから声をかけられたのを
無視したいわけではない。
声をかけてくれた煙には微笑んで礼を返した。
それに着飾らされたジャーディンを見れば、
主人から良い扱いを受けているのはわかるのだろう]
[初めて目にする婚礼はとても華々しく美しかった。
愛する人に花嫁衣装を着せて、
あのように愛の誓いをする光景というのは
ジャーディンにとってはあまりにも縁遠い。
しかしながら憧れのような思いは
浮かばぬでもなかった。
自分の隣で花嫁姿となってくれる人は
生憎思い浮かべられはしなかったのだが。
奴隷に結婚など夢のまた夢、
思い描くだけでも恐れ多い。
フェルゼの例は特殊なのだ]**
····ふふっ、そうですね。
誓いのキスもしましょうか。
[冗談を間に受けた訳ではなく、···ただ口付けがしたかっただけ。
君と一緒にいる間に、ズルいことも覚えてしまったみたいです。
触れるだけの軽いものじゃ足りなくて、
もっと深く、まるで君の熱を奪うかのように。
もう人の目を気にする必要はないから。
胸に抱いた愛おしい気持ちに従って、君を力強く抱きしめました。]
― 後日談 ―
[結婚式って、年が近い友人のものでも
参列するのはまだ先のことだと思っていた。
招待状には養父もだが私の名前もある。そして煙の名前もあった。
他にも幾人か、この家で働く者たちの名前も。
大人びた服はまだまだ似合わないので、
ドレスコードを守った正装で、参列した。]
わぁ、すごい。綺麗。
[顔面偏差値的にも、衣装的にもだけれど
一番は、2人がとても幸せそうで、
とても美しかった。]
[式場では、煙さんのお知り合いにご挨拶
恋人として紹介されることに照れたり。
友人も招待されていて、煙さんのお知り合いだった
「ドール」時代の同僚兼恋人の子も一緒に参列していたり
等々。色々あったけれど。
でも一番の思い出は、そうね。
春の幸せを詰めたようなブーケが
私の手の中に降ってきた、ことでしょうか。
席ごとに違う、美しい花。
手の中で咲き誇る、白のラナンキュラスとビバーナム
サムシング・ブルーのデルフィニウム
ライラックで色調を整えて、柔らかなピンクのスィートピーが
甘酸っぱい新婚さんの幸せを教えてくれるかのよう。
ぎゅ、とだきしめ、うれしそうに笑う私は。
今日この良き日に世界で二番目に幸せな子なのだ。]
[
もう、自身がその役割をする事は無いのだろう。
控えめに挨拶を交わしてくれた、彼がいるのだから。
知己の幸運を、そっと願っておいた。]
[
幸運のブーケを受け取った瞬間、そちらの方に目を奪われた事を許してほしい。
嬉しそうに笑う彼女の顔を忘れる事はできないだろうなと、思った。]
[その場と立場に相応しく着飾る意味を芝居に例えれば、
それはどういったものかと尋ねられたから。
「週末にでも連れていってあげる。」と笑った。
問われたのは、ジャーディン自身の
価値についても。
うん?
価値は、自分で作るものよ。
貴方は、折れずに、歪みもせずに、
今こうして健やかなまま、ここに立っている。
それは何より凄いことよ。
これからの貴方がどう花を咲かせるのかは
貴方次第。そのための環境は、私が用意する。
[正装は彼のしなやかな身体のラインを引き立て、
首元のタイは、彼の肌色によく映えている。
カコは、微かに目を細めた。]
[正してやるまでもなく、すっと伸びた背筋に
掌を宛てがったのは。
多分、ただそうしたかったからだ。]
人生って存外に長いのよ、ジャーディン。
自分一人のために生きるには、ね。
学んで、働いて、何かを育んでいれば、
あっという間に過ぎてしまうのでしょうけれどね。
[自分自身を。心を、価値を、命あるものを。
幾つもを。彼はもう、根無し草ではないから。]*
[着飾らせたジャーディンを、今日は従えるのではなく、
腕をとって隣を歩く。彼には俄仕込みの仕草だが、
なかなか筋が良かった。彼にエスコートを仕込む日は、
そう遠くないことだろう。
観劇の予定も出来たことであるし。
式場では、また何時か街中で巡り合えることを
願っていた姿を見つけた
───煙!びっくりした…
まさか此処で貴方に会えるなんて。
[けれど、パルテールに通えるような顧客は
ほぼ例外なく貴族や富豪だから、富裕層
同士の繋がりがあるのは不思議なことでもない。]
そう、この方が。
お初にお目にかかります、リッキィさん。
カコと申します。
[雇い主兼恋人と紹介された少女に、満面の笑みを向ける。
良い主人だけでなく恋人にまで恵まれるとは。
彼は、想像以上に幸せであったらしい。]
ええ、結局うちに来てもらったの。
『優しく』してるつもりだけど。
そうできているかは…どうでしょうね?
[それは今ではなく、遠い先にジャーディン自身が
判断することだろう。
終の棲家の居心地が、彼にとっても快適なものであるよう
家長としては整えるつもりだ。
暫し煙と近況を尋ねあった後、連絡先を交換し、
「またね」と言い合って別れた。]*
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